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浅草 ニンニンパンダバス(H21−08−28)
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国際通り 浅草ビューホテル 国際通り 浅草ビューホテル 
国際通り 浅草ビューホテル前交差点で右折、花やしきへ 国際通り 浅草ビューホテル前交差点で右折、花やしきへ 

浅草寺界隈を周遊する無料シャトルバスのニンニンパンダバスは、花やしき前からこの交差点を出て周遊、浅草寺側から戻る。
六区ブロードウエイ 六区ブロードウエイ 

入ってすぐ右手には、映画館などが建ち並ぶ六区ブロードウエイがある。
花やしき通り 花やしき通り 
花やしき通り 花やしき通り 
花やしき通り 花やしき通り 

街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。

この狭い道を大型のニンニンパンダバスが走るが、浅草寺側からの一歩通行で、入口には進入禁止の杭が立っている。バスが来ると、近くの人が杭を引き抜いて通行させる。
花やしき通り 花やしき通り 鬼太郎堂 
花やしき通り 左折して浅草寺裏へ 花やしき通り 左折して浅草寺裏へ 

正面には平成大営繕の覆いが掛けられている本堂がある。後でこの本堂に来るのにわざわざ遠回りすることになる。
浅草寺裏 銭塚地蔵堂 浅草寺裏 銭塚地蔵堂 

 昭和三十九年に再建されたこのお堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、その下に「寛永通宝」が埋められているといわれることから「銭塚」の名がある。
 江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者かおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が沢山入った壷を掘り当てた。だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてしまうと考え、誰にもいわず再び土中に埋め戻した。
「この心掛けによって一家は繁栄したので、その壷の上に地蔵尊を祀ったという。
 お堂のご本尊は、そのご分身を勧請したもので、商売繁昌のご利益があるといわれる。
 毎月「四の日」と正・五・九の各月二十四日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。特に塩をお供えするので「塩なめ地蔵」の名もある。
浅草寺裏 はとバス専用駐車場 浅草寺裏 はとバス専用駐車場 

後方は浅草寺病院で、その前に九代目 市川團十郎像がある。
浅草寺裏 九代目 市川團十郎像 浅草寺裏 九代目 市川團十郎像  

 大正八年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に、劇聖と謳われた明治の名優市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られました。この銅像は近代彫塑の先駆者新海竹太郎氏の傑作であり、歌舞伎の象徴として全国の人々から親しまれておりました。ところが第二次世界大戦中の昭和十九年十一月三十日金属類回収のため、この「暫」の銅像も供出の命を受け、四十余年を経てまいりました。
 この度、十二代市川團十郎襲名を機に復元の機運が高まり、浅草寺のご理解のもと、多くの方々に御尽力を賜り、ここに「暫」の銅像が再現されました。十一代目並びに十二代目市川團十郎父子、地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります。
 こののちも、歌舞伎の隆盛とともに、この銅像が歌舞伎の象徴として日本国民はもとより世界の人々からも幾久しく愛されますことを願ってやみません。
昭和六十一年十一月三日
浅草寺裏 九代目 市川團十郎像 浅草寺裏 九代目 市川團十郎像 
浅草寺裏 雷5656会館前で右折、言問通りへ 浅草寺裏 雷5656会館前で右折、言問通りへ 

雷5656会館は、雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店である。

ニンニンパンダバスは雷5656会館脇の柳通りから南下し、この交差点で言問通りを渡り、逆コースで花やしきに向かう。
言問通り 馬道交差点で馬道通りを渡る 言問通り 馬道交差点で馬道通りを渡る 

右折し馬道通りを南下すると、二天門前を通り、浅草松屋西側を経て吾妻橋交差点に至る。
言問通りを東進 言問通りを東進 

日当たりの良さの差でいちょうの黄葉の度合いが異なっている。
言問通り 言問橋西交差点で江戸通りを渡る 言問通り 言問橋西交差点で江戸通りを渡る 
言問通り 言問橋西詰で隅田公園に入る 言問通り 言問橋西詰で隅田公園に入る 
隅田公園を南下 隅田公園を南下 
隅田公園を南下 隅田公園を南下 

小ぶりな椿が咲いており、この時期に満開とは、と思った。
隅田公園 桜並木 隅田公園 桜並木 

隅田公園も桜の名所だが、隅田川沿いにのみ植えられており、東岸に比べ若木である。
隅田公園 山の宿の渡し 隅田公園 山の宿の渡し 
隅田公園 山の宿の渡し 隅田公園 山の宿の渡し 

 隅田川渡船の一つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。明治四十年(一九〇七)発行の「東京市浅草区全図」は、隅田川に船路を描き、「山ノ宿ノ渡、「山ノ宿ノ渡トモ云」と記入している。位置は吾妻橋上流約二五〇メートル。浅草区花川戸河岸西隣の町名を、「山ノ宿町」といった。渡しの名はその町名をとって命名。別称は、東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。枕橋は墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。
隅田公園 改築中の水上バス乗り場 隅田公園 改築中の水上バス乗り場 

山の宿の渡しの碑の傍の隅田川テラスに仮設乗り場が設けられている。
吾妻橋西詰 ニンニンパンダバス 水上バス前 バス停 吾妻橋西詰 ニンニンパンダバス 水上バス前 バス停 

ニンニンパンダバス路線を歩いた時にはこのバス停が見つからなかった。以前は派手な造りの水上バス乗り場があり、その前に設置されていたが、仮設中のため、ここに移設されていたため見つからなかった。
吾妻橋西詰 ニンニンパンダバス 水上バス前 バス停 吾妻橋西詰 ニンニンパンダバス 水上バス前 バス停 

「水上バスのりば」の白い幕にかつての乗り場があり、その前の端の手すり前に見にくいが、ニンニンパンダバスのバス停がある。
吾妻橋交差点 浅草松屋 吾妻橋交差点 浅草松屋 

浅草松屋は東武伊勢崎線の浅草駅でもあり、浅草橋交差点のランドマークである。



 
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