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団子坂下交差点〜根津神社〜本郷弥生交差点

【関連サイト】   新春の千駄木、谷中、根津、湯島散策(H22−01−06)
谷根千(谷中・根岸・千駄木)散策(H21−09−13)


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不忍通り 団子坂下交差点 不忍通り 団子坂下交差点 

「上野のお山散歩」のタイトルではあるが、団子坂を上り、森鴎外旧居の観潮楼横から日本医大に向かう藪下通りの案内図が描かれている。
不忍通り 千駄木二丁目交差点 不忍通り 千駄木二丁目交差点 

三叉路で、右折して坂を上ると日本医大である。文京区のB−ぐるバスは日本医大から坂を下り、この交差点から団子坂下交差点に向かう。
不忍通り 根津神社入口交差点で右折 不忍通り 根津神社入口交差点で右折 

ぎりぎり一車線の一方通行の道を進むと根津神社がある。
根津神社 根津神社 

 日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
 社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
 祭神は須佐之男命、大山咋神、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
 境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。
根津神社 名物のつつじ園 根津神社 名物のつつじ園 

楼門に至る参道沿いは有名なつつじ園で、神苑整備の名目で入場料が取られる。
根津神社 楼門 根津神社 楼門 
根津神社 唐門、透塀、社殿 根津神社 唐門、透塀、社殿 
根津神社 社殿 根津神社 社殿 
根津神社 社殿の紅梅 根津神社 社殿の紅梅 

社殿の右には色鮮やかな紅梅が、左には白梅がある。
根津神社 社殿の紅梅 根津神社 社殿の紅梅 
根津神社 社殿の白梅 根津神社 社殿の白梅 
根津神社脇から新坂を上る 根津神社脇から新坂を上る 
新坂を上る 新坂を上る 

本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。森鴎外の小説『青年』(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 ・・・」とある。 
 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説『青年』を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。 
 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川柳吉が、柳豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。
新坂を上る 新坂を上る 

自転車を押して上る人がいるほどかなりの急坂で、右に根津神社のつつじ園が見える。
突き当りを左折 突き当りを左折 
東大地震研究所 東大地震研究所 
突き当りを左折、本郷通りへ 突き当りを左折、本郷通りへ 
本郷通り 本郷追分 本郷通り 本郷追分 

本郷追分で中仙道(国道17号)は右に曲がり、本郷通りは都道になる。
本郷通り 本郷弥生交差点で左折、言問通りへ 本郷通り 本郷弥生交差点で左折、言問通りへ 



 
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