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業平橋駅〜牛嶋神社〜隅田川 桜橋

【関連サイト】   隅田川さくらのライン下り(H16−03−27)
満開の上野、谷中、浅草散策(H20−03−29)


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言問通り 向島三丁目交差点で左折 言問通り 向島三丁目交差点で左折 
言問通り 言問橋東交差点で左折、三ツ目通りへ 言問通り 言問橋東交差点で左折、三ツ目通りへ 

交差点を渡り、三ツ目通りを少し下った所に牛嶋神社がある。
国道六号は言問橋を渡り左折(写真では右へ)、この交差点で三ツ目通りと合流する。
言問通りは普通言問橋西交差点までであるが、浅草通りの業平一丁目交差点に言問通りとの標識がある。
三ツ目通り 牛嶋神社 三ツ目通り 牛嶋神社 

貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られ、また本殿前には全国でも数少ない三輪鳥居があります。
牛嶋神社 牛嶋神社 
牛嶋神社 牛嶋神社 

明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いており、三輪鳥居と呼ばれる。

 牛嶋神社は、貞観二年(八六〇年)に須佐之男命(すさのおのみこと)が、郷土守護神としてまつられたのにはじまり、その後、天之穂日命(あめのほひのみこと)、次いで清和天皇の第七皇子の貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)を合わせておまつりしております。
 治承四年(一一八〇年)、源頼朝の大軍の豪雨中の参拝とか、天文七年(一五三八年)に後奈良院より「牛の御前社」という勅号を賜ったことなど、古来当社にかかわる伝説・縁起は数多くありますが、江戸時代初期に、境内に撫牛(なでうし)の石像がまつられて信仰をあつめ、十二年に一度の丑の年には、焼物の「牛のお守り」が作られるようになりました。
 この「牛のお守り」は、それぞれの時代の人達の身近にあってその人達をお守りし、十二年毎に形を変えて敬愛され続けてきました。
牛嶋神社 牛嶋神社 
牛嶋神社 牛嶋神社 

本殿前には立派ないちょうの木がある。
牛嶋神社 牛嶋神社 
牛嶋神社境内を北上 牛嶋神社境内を北上 

牛嶋神社は隅田公園の中にある。
隅田公園 言問橋下をくぐる 隅田公園 言問橋下をくぐる 
隅田公園 言問橋下をくぐる 墨堤通りを北上 

高架は首都高6号向島線である。左には隅田公園の運動場がある。
墨堤通り 隅田公園内交差点を渡り、隅田川の土手へ 墨堤通り 隅田公園内交差点を渡り、隅田川の土手へ 

コースマップには隅田公園内交差点と記されているが、そのような標識はない。
隅田公園(東岸)から見た西岸風景 隅田公園(東岸)から見た西岸風景 

白いビルは、桜橋の少し下流にあるリバーサイド・スポーツセンターである。
隅田公園 裸木に近い桜並木 隅田公園 裸木に近い桜並木 

隅田公園、特に東岸の桜並木は東京を代表する桜の名所である。
隅田川に架かる桜橋を渡る 隅田川に架かる桜橋を渡る 
隅田川に架かる桜橋を渡る 隅田川に架かる桜橋を渡る 

桜橋はX字型の端で、橋の中央で交差する。



 
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