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東大前駅〜日本医大〜根津神社〜言問通り〜寛永寺〜鶯谷駅〜言問通り〜かっぱ橋道具街〜北上野交差点〜両大師橋〜上野公園〜不忍池〜湯島天神〜東大前駅(総行程 10.0km)

【撮影記録】
平成23年 2月 20日 曇り
09:15〜11:30 15,000歩(概算 10.5km)

歩き始めたときは北風が強く、震えながら歩いたが、まもなく弱まると寒さも気にならなくなった。きめ細かく係員が立って誘導をしており、混乱もなかったが、硬直的な誘導に文句をつける人も見られた。
本郷通り(岩槻街道) 南北線 東大前駅 本郷通り(岩槻街道) 南北線 東大前駅 

地上に出て左折、本郷通りを北上する。
本郷通り(岩槻街道) 文京学院大学 短大 本郷通り(岩槻街道) 文京学院大学 短大 
本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 
本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 
本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 本郷通り(岩槻街道) とうがらし地蔵(正行寺) 

この寺の境内にまつられている地蔵尊は「とうがらし地蔵」と呼ばれ、咳の病に霊験あらたかなことで知られている。『江戸砂子』に「当寺境内に浅草寺久米平内のごとき石像あり。仁王坐禅の相をあらは すと云へり。」とある。    寺に伝わる元文三年(一七三八)の文書によれば、僧の「覚宝院」が、元禄一五年(一七〇二)人々の諸願成就を願い、また咳の病を癒すため自ら座禅姿の石像を刻み、ここに安置したという。以来人々は「覚宝院」が″とうがらし酒″を好んだことから、 とうがらしを供え諸願成就を願ってきた。
本郷通り(岩槻街道) 向丘一丁目交差点で右折、日医大つつじ通りへ 本郷通り(岩槻街道) 向丘一丁目交差点で右折、日医大つつじ通りへ 

文京区のコミュニティバスは、本郷通りを南下してこの交差点で左折、日医大つつじ通りを走る。
日医大つつじ通り 向丘一丁目交差点界隈の白梅 日医大つつじ通り 向丘一丁目交差点界隈の白梅 

どんよりした曇り空なので、せっかくの白梅もきれいに見えない。
日医大つつじ通り 日本医大前交差点 日医大つつじ通り 日本医大前交差点 

右折すると新坂(権現坂・S坂)を下り、つつじで有名な根津神社の表参道に至る。
左折して日本医大校舎沿いに進むと夏目漱石の旧居跡に出る。
日医大つつじ通り 根津神社 西参道入口 日医大つつじ通り 根津神社 西参道入口 
根津神社 西参道 乙女稲荷 根津神社 西参道 乙女稲荷 
根津神社 西参道 乙女稲荷 根津神社 西参道 乙女稲荷 
根津神社 西参道 乙女稲荷 根津神社 西参道 社殿 透塀 
根津神社 社殿 根津神社 社殿 

 日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
 社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
 祭神は須佐之男命、大山咋神、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
 境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。
根津神社 唐門、楼門 根津神社 唐門、楼門 

社殿前の唐門の先に楼門が見える。唐門は屋根が唐破風になっている門のこと、中国式の門の意味でではない。
根津神社 楼門 根津神社 楼門 

楼門の先に神橋があり、そのまま表参道を進むと不忍通りに出る。コースは日医大つつじ通りを歩くので、西参道を戻る。
根津神社 西参道 徳川家宣胞衣塚 根津神社 西参道 徳川家宣胞衣塚 

乙女稲荷の鳥居の脇に胞衣塚の案内があり、階段を上って左に胞衣塚がある。右には乙女稲荷に寄進された小鳥居の列がある。
根津神社 徳川家宣胞衣塚 根津神社 徳川家宣胞衣塚 

 六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
 この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文二年(一六六二)四月五日ここで生まれた。
 胞衣とは、胎児(母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をいう。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは各地の民間伝承にある。例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。
 一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
 この胞衣は誕生の敷地内に納められた。徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。
 本殿横には、明治十四年に建てられた「胞衣塚碑」がある。また、家宣の産湯の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にある。
 家宣が綱吉の後継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神(氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
根津神社 徳川家宣胞衣塚 根津神社 徳川家宣胞衣塚 
根津神社 西参道を北上 根津神社 西参道を北上 
根津神社 西参道入口から日医大つつじ通りへ 根津神社 西参道入口から日医大つつじ通りへ 
日医大つつじ通り 根津裏門坂 日医大つつじ通り 根津裏門坂 

 根津神社の裏門前を、根津谷から本郷通りに上る坂道である。
 根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代家宜)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。
 坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。「吾輩は猫である」を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。
日医大つつじ通り 根津神社 北参道入口 日医大つつじ通り 根津神社 北参道入口 
日医大つつじ通り 千駄木2丁目交差点で右折、不忍通りへ 日医大つつじ通り 千駄木2丁目交差点で右折、不忍通りへ 



 
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