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言問通り〜寛永寺〜鶯谷駅

【関連サイト】   台東区 東西めぐりん(H21−05−01)
有名仏閣 東叡山寛永寺・上野東照宮


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不忍通り 根津神社入口交差点 不忍通り 根津神社入口交差点 

左折して一方通行の細道を行くと根津神社の大鳥居があり、表参道である。
不忍通り 根津一丁目交差点で左折、言問通りへ 不忍通り 根津一丁目交差点で左折、言問通りへ 

右折すると弥生式土器が発掘された弥生貝塚跡碑があり、右に行くと谷中墓地、上野寛永寺根本中堂に向かう。
言問通り 花屋盛香園前交差点 言問通り 花屋盛香園前交差点 

谷中を巡る台東区の人気コミュニティバス「東西めぐりん」は、言問通りの善光寺坂を下ってきて花屋盛香園前交差点(交差点名はない)で左折、動物園通りを走り、森鴎外が新婚時に住んだ水月荘ホテル鴎外荘を経て、不忍池に向かう。

写真では坂を上るので右折である。
言問通り 善光寺坂 言問通り 善光寺坂 

 谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以後の新設である。
 善光寺坂は信濃坂ともいい、その名はこの坂上の北側にあった善光寺にちなむ。善光寺は、慶長六年(一六〇一)信濃善光寺の宿院として建立され門前町もできた。寺は元禄十六年(一七〇三)の大火に類焼して、吉田(現港区青山三町目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治五年まで坂の南側にあった。
 善光寺坂のことは、明和九年(一七七二)刊行の「再校江戸砂子」にも見え、『御府内備考』の文政九年(一八二六)の書上には、幅二間(約三・六メートル)、長さ十六間(約二九メートル)、高さ一丈五尺(約四・五メートル)ほどとある。
言問通り 谷中六丁目交差点 言問通り 谷中六丁目交差点 

東西めぐりんは、上野公園からこの交差点で出てきて右折、谷中霊園に向かう。
言問通り 谷中六丁目交差点を走る東西めぐりん 言問通り 谷中六丁目交差点を走る東西めぐりん 
言問通り 上野桜木交差点 旧吉田屋酒店 言問通り 上野桜木交差点 旧吉田屋酒店 

東西めぐりんはこの交差点で谷中霊園に出入りする。
言問通り 上野桜木交差点 旧吉田屋酒店 言問通り 上野桜木交差点 旧吉田屋酒店 

 かって谷中六丁目の一角にあった商家建築。吉田屋酒店は江戸時代以来の老舗であった。旧店舗の建物が台東区に寄贈され、明治から昭和初期にいたる酒屋店舗の形態を後世に遺すため、昭和六十二年移築復元して、当時の店頭の姿を再現、展示している。平成元年には、一階店舗と二階部分及び道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財となった。
 棟札によれば、明治四十三年(一九一〇)に新築して、昭和十年(一九三五)に、一部改築したもの。正面は一・二階とも出桁造りで商家特有の長い庇を支え、出入り口には横長の板戸を上げ下げして開閉する揚戸を設け、間口を広く使って販売・運搬の便を図った。
言問通り 上野桜木二丁目交差点手前の交差点で右折 言問通り 上野桜木二丁目交差点手前の交差点で右折 

左は浄名院で、右折してすぐ先の左に寛永寺がある。
東叡山寛永寺 東叡山寛永寺 
東叡山寛永寺 寛永寺本堂 東叡山寛永寺 寛永寺本堂 

 旧本堂(根本中堂)は現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにあったが、慶応四年(一八六八)彰義隊の兵火で焼失した。そのため明治九年(一八七六)から十二年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂が移築され、寛永寺の本堂となったのである。寛永十五年(一六三八)の建造といわれる。
 間口・奥行ともに七間(十七・四メートル)。前面に三間の向拝と五段の木階、背面には一間の向拝がある。周囲には勾欄付廻縁掃をめぐらしており、背面の廻縁には木階を設けて、基壇面に降りるようになっている、桟唐戸(正面中央など)、蔀戸(正面左右など)、板壁など、すべて素木のままである。屋根は入母屋造、本瓦葺、二重垂木とし、細部の様式は和様を主とする。
 内部は、内陣が土間で、外陣と同じ高さの須弥壇が設けられている。須弥壇の上に本尊その他の仏像を安置する。内陣を土間とする構造は中堂と呼ばれ、天台宗独特のものである。現在は仮の床が張られ、内外陣ともにすべて畳敷になっている。
東叡山寛永寺 根本中堂 東叡山寛永寺 根本中堂 
東叡山寛永寺 銅鐘 東叡山寛永寺 銅鐘 

 本鐘の大きさは、総高一七七・二センチ、口径九一・八センチ。厳有院殿(四代将軍家綱)の一周忌にあたる、延宝九年(一六八一)五月八日に厳有院殿廟前の鐘楼に奉献された。明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、当所に移されたと伝えられる。現在は、除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている。
 作者の椎名伊予守吉寛は、江戸時代前期(十七世紀後半)に活躍した江戸の鋳物師で、神田鍋町に住した。延宝元年(一六七三)から貞享三年(一六八六)にかけて、銅鐘を中心に十七例の作例が知られている。その中には増上寺や寛永寺などに関わるものも含まれており、幕府との関係の深さが窺える。
 本鐘は、将軍家霊廟の儀式鐘で、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつである。
東叡山寛永寺 鐘楼横の燈籠 東叡山寛永寺 鐘楼横の燈籠 

説明板はないが、笠には葵の御紋が付けられている。
東叡山寛永寺 銅鐘 東叡山寛永寺 銅鐘 
突き当りを左折 突き当りを左折 
東京文化財研究所 東京文化財研究所 

道の反対側は区立上野中学校である。
寛永寺 第三霊園前で右折 寛永寺 第三霊園前で右折 

正面右に五代将軍綱吉の霊廟勅額門が見える。
寛永寺 第三霊園 重文 徳川綱吉霊廟勅額門 寛永寺 第三霊園 重文 徳川綱吉霊廟勅額門  

五代将軍綱吉は、延宝八年(1680)五月に兄・家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永六年(1709)一月十日に六十三歳で没した。法名を常憲院という。
綱吉ははじめ、善政を行い「天和の治」と賛えられたが、今日では「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名。
 元禄十一年(1698)九月、この綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立された。造営の奉行は柳沢吉保、資材の調達は紀之国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門である。また、それに伴って先聖殿(現・湯島聖堂)が上野から湯島に移されている。
 綱吉の霊廟は宝永六年の十一月に竣工したが、それは歴代将軍の霊廟を通じてみてももっとも整ったものの一つであった。ただ、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失した。この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その霊廟と共にこれら災を免れた貴重な遺構である。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
寛永寺 第三霊園 重文 徳川綱吉霊廟勅額門 寛永寺 第三霊園 重文 徳川綱吉霊廟勅額門 

以前は霊廟勅額門の案内板しかなかったが、平成20年の大河ドラマの天璋院篤姫ブームにより、その説明板も下に設けられていた。今は何故か剥がされた白い跡が残っている。
寛永寺 第二霊園の塀沿いに歩く 寛永寺 第二霊園の塀沿いに歩く 

塀越しに東京スカイツリーが見える。
寛永寺 第二霊園 徳川家綱霊廟勅額門 寛永寺 第二霊園 徳川家綱霊廟勅額門 

四代将軍家綱は、慶安四年(一六五一)四月に父・家光の死に伴って、わずか十才で将軍の座につき、延宝八年(一六八〇)五1月八日にに三十九才で没した。法名を厳有院という。

鶯谷駅近くで、地図ではこの裏に徳川家墓所があるはずだが、入ることは出来ない。
寛永寺 第二霊園 徳川家綱霊廟勅額門 寛永寺 第二霊園 徳川家綱霊廟勅額門 

 四代将軍家綱は、慶安四年(1651)四月父・家光の死に伴って、わずか十歳で将軍の座につき、延宝八年(1680)五月八日に三十九歳で没した。法名を厳有院という。
 病気がちであった家綱時代の政務は、主として重臣の手に任されていたが、とくに後半の政治を担当した大老・酒井忠清が有名である。時代は家綱の襲職直後に起こった由井正雪の乱の解決を機に、ようやく安定期に入った。
 家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失したが、この勅額門と水盤舎は、その霊所と共に、これらの災いを免れた貴重な遺構である。
勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
 なお、このうち水盤舎は延宝八年に家綱のために造立されたものであるが、この勅額門は昭和三十二年の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられる。
突き当りを左折、新坂へ 突き当りを左折、新坂へ 

明治になって、新しく造られた坂である。それで、新坂という。明治十一年(一八七八)内務省製作の『上野公園実測図』にある「鴬坂」がこの坂のことと考えられ、少なくともこの時期には造られたらしい。鴬谷を通る坂だったので、「鴬坂」ともいわれ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。
新坂 忍岡中学校脇を進む 新坂 忍岡中学校脇を進む 
新坂 JR山手線 鶯谷駅 新坂 JR山手線 鶯谷駅 



 
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