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富岡八幡宮東参道を出て左折、八幡堀遊歩道へ
本来のコースはすこし先の信号がある交差点で左折するが、興味深い展示物が並んでいるので左折する。 |
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八幡堀遊歩道 八幡橋(旧弾正橋) 由来
旧弾正橋は、明治11年(1878)東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋です。昭和4年(1929)現在地に移され八幡橋と改称し、以来八幡橋として活躍してきました。昭和52年(1977)近代橋梁技術史上価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。また、アメリカ人技師スクワイア一・ウィップルの特許を基本としたところから、平成元年10月、国内で初めてアメリカ土木学会より「栄誉賞」を受けました。 |
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八幡堀遊歩道 旧弾正橋(八幡橋)
八幡橋は、東京市で最初に架けられた鉄橋である 長さ一五.ニメートル、幅ニメートル、単径間アーチ橋の形式をとる。アーチは鋳鉄製で五本の直材をつなぎ、その他の引張材は錬鉄製の鋳錬混合の橋である。もとは、京橋区(中央区)の楓川に架けられていたものである。経緯については、「八幡橋新橋来歴」に詳しく記されている、この橋は明治十一年(一八七八)、東京府の依頼により工部省赤羽製作所で製造された。はじめは弾正橋と称していたが、大正二年(一九一三)の市区改正により新しい弾正橋が架けられたため、元弾正橋と改称された。さらに、関東大震災後の帝都復興計画により廃橋となり、昭和四年(一九二九)、現在地に移設された。富岡八幡宮の東隣りであるため、名称も八幡橋と改められた。現存する鉄橋としては最古に属するものであり、また、菊の紋章のある橋としても有名である。鋳鉄橋から錬鉄橋に至る過渡期の鉄橋として、近代橋梁史上貴重なものであるとともに、独特な構造手法を用いて施工してあり、技術史の上でも価値の高い橋である。 |
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八幡堀遊歩道 旧弾正橋(八幡橋) |
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八幡堀遊歩道 旧新田橋 |
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八幡堀遊歩道 旧新田橋
新田橋は、大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場五丁目から木場六丁目を結ぶ、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな橋の人道橋です。
大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院の開業をしていた新田清五郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたものです。
当初、新船橋と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
また、映画やテレビの舞台ともなり、下町の人々の生活や歴史の移り変わり、出会いや別れ、様々な人生模様をこの橋は静かに見守り続けてきました。 |
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八幡堀遊歩道 首都高9号深川線の高架下を北上 |
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八幡堀遊歩道 旧新田橋 |
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八幡堀遊歩道を出て右折、首都高9号深川線高架下を進む |
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首都高9号深川線沿いに鶴保橋西交差点を過ぎ、東進
本来のコースを歩けばこの交差点に出て右折だった。 |
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首都高9号深川線沿いを東進 平久川に架かる鶴保橋 |
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首都高9号深川線沿いを東進 大島川東支川に架かる木場橋 |
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突き当りの交差点で三ツ目通りを渡り、都立木場公園へ |
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都立木場公園 ふれあい広場
ふれあい広場から遊歩道を歩き、北上する。 |
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都立木場公園 都市緑化植物園 |
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都立木場公園 都市緑化植物園
遊歩道の左側(西側)に三ツ目通り沿いに設けられている。 |
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都立木場公園 案内図
木場公園は南のふれあい広場と、北のイベント広場、多目的広場とで構成され、両者を仙台堀川、隣接して葛西橋通りが分ける。 |
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都立木場公園 噴水広場 |
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都立木場公園 噴水広場
噴水広場の奥には葛西橋通りや仙台堀川に架かる木場公園大橋が見え、さらにその奥には東京スカイツリーが見える。 |
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都立木場公園 木場公園大橋 |
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都立木場公園 木場公園大橋から見えるイベント広場、東京スカイツリー |
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都立木場公園 イベント広場から見た多目的広場 |
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三ツ目通り 東京都現代美術館 MO+
木場公園の北側に隣接している。
ニューヨークの有名な現代美術館(MOA)をもじったのか、MO+となっている。 |
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三ツ目通り 東京都現代美術館 MO+ |
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三ツ目通り 東京都現代美術館 MO+ |
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三ツ目通り 現代美術館前交差点 |