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本郷通り 上富士前交差点で不忍通りを渡る 
六義園の正門を出て左折、本郷通りに出て南下すると、すぐに上富士交差点がある。 |
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本郷通り 上富士前交差点で不忍通りを渡る  |
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本郷通り 富士神社入口交差点 
左折するとすぐ左に富士講のある富士神社があり、文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスがこの交差点から出て本郷通りを北上、六義園、駒込駅に向かう。 |
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本郷通り 吉祥寺 
長禄2年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内(現在の和田倉門内)に一宇を設け、「吉祥寺」と称したのがはじまりという。
天正19年(1657)に現在の水道橋一帯に移った。現在の水道橋あたりにあった橋は吉祥寺橋と呼ばれた。明暦3年(1657)の大火(明暦の大火)で類焼し、現在地に七堂伽藍を建立し移転、大寺院となった。
僧侶の養成機関として栴檀林(駒沢大学の前身)をもち、一千余名の学僧が学び、昌平坂学開所と並び称された。
古い堂塔
山門 享和2年(1802)再建、江戸後期の特色を示す。
経蔵 文化元年(1804)再建、栴檀林の図書収蔵庫。文京区指定文化財。
墓所
二宮尊徳(江戸末期の農政家) (墓地内左手)
鳥居燿蔵(江戸南町奉行) (墓地内左手)
榎本武揚(江戸末期の幕臣、明治時代の政治家) (墓地内右手)
川上眉山(小説家) (墓地内右手) |
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本郷通り 吉祥寺 参道 
見事な枝垂れ桜が境内や、参道に植えられている。 |
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本郷通り 吉祥寺 参道  |
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本郷通り 吉祥寺 お七、吉三郎 比翼塚 
八百屋お七と、吉三郎の比翼塚である。 |
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本郷通り 吉祥寺  |
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本郷通り 吉祥寺 二宮尊徳の墓碑 
吉祥寺には二宮尊徳の他に、鳥居耀蔵、榎本武揚の墓があるはずだが、見つけられなかった。川上眉山は参道沿いにある。 |
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本郷通り 吉祥寺 二宮尊徳の墓碑 
天明七年−安政三年(一七八七−一八五六)。相模の人。通称 金次郎。江戸末期の農政家。
人物を認められて小田原藩領下野国桜町の荒巻を復興したことで知られる。
その後、常陸その他の諸藩の復興に農政家として、また政治力によって寄与するも、日光神領の復旧に従事中、病死する。彼の思想・行動は後に「報徳社運動」として展開するようになった。 |
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本郷通り 吉祥寺 
二宮尊徳の墓碑の前は立派な桜が植えられており、その前の石塀に囲まれた所に鹿島建設会長の鹿島守之助、卯女夫妻の墓がある。 |
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本郷通り 吉祥寺 鹿島建設会長 鹿島守之助、卯女夫妻の墓  |
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本郷通り 吉祥寺  |
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本郷通り 吉祥寺  |
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本郷通り 吉祥寺  |
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本郷通り 向丘二丁目交差点で大観音通りを渡る 
右折すると白山上交差点で白山神社があり、左折すると駒込大観音がある光源寺、団子坂上の改修のため閉館中の森鴎外の観潮楼跡を過ぎ、団子坂を下りて団子坂下交差点で左折、不忍通りへ入る。
文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスは、右の白山上交差点から来て、この交差点で右折、本郷通りを南下する。 |
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本郷通り 浄心寺 
参道は満開の桜で覆われている。 |
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本郷通り 向丘一丁目交差点 
B−ぐるバスは左折し、日医大つつじ通りへと進み、右折すると根津神社、左折すると川端康成書の夏目漱石旧居跡の碑がある日本医大前交差点を過ぎ、左に日本医大の附属病院、キャンパス、右に根津神社の北入口がある坂を下り、千駄木2丁目交差点で左折、不忍通りへ出る。 |
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本郷通り 東大農学部正門  |
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本郷通り 本郷弥生交差点で左折、言問通りへ  |