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第18回 濠と御門でぐるり散策、江戸城一周 スタート 千代田線 二重橋駅
二重橋駅〜皇居外苑〜財務省上交差点〜国会前庭〜憲政記念館〜隼町交差点〜三宅坂交差点〜半蔵門交差点〜千鳥ケ淵交差点〜代官町通り〜北の丸公園〜九段下交差点〜神保町古書店街〜千代田通り〜二重橋駅(総行程 8.5km)
【撮影記録】
平成24年 2月 10日 快晴
10:25〜12:25 11,900歩(概算 8.3km)
天気予報では午後から晴れで、寒いはずだったが、朝から暖かく快晴だった。前回からほぼ4年経っており、丸ノ内界隈の変貌に驚かされる。 |
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日比谷通り 馬場先門交差点
建物は東京商工会議所で、馬場先門交差点で左折すると馬場先通りで、間京葉線東京駅、東京国際フォーラム(旧東京都庁舎跡)を経て鍛冶橋通りとなる。 |
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日比谷通り 馬場先門交差点 右折して馬場先通りへ |
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馬場先通り 日比谷濠石垣脇を通り、二重橋へ
正面遠くに二重橋が見える。一旦左に曲がり楠正成の銅像を見たあと、元に戻って二重橋に向かう。 |
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馬場先通り 皇居外苑 日比谷濠石垣裏にある案内板
特別史跡江戸城跡
江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌んによって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものでをることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。 |
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馬場先通り 皇居外苑 日比谷濠石垣 界隈案内図 |
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皇居外苑 左折して大休憩所(観光バス駐車場)へ |
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皇居外苑 楠正成像 |
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皇居外苑 楠正成像
皇居前広場のシンボルとも言える大楠公像である。 |
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皇居外苑 二重橋前交差点で内堀通りを渡り、二重橋へ |
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皇居外苑 二重橋
手前が石橋で、後ろに鉄橋がある。石橋を渡ると皇居の正門で、普段は皇宮警察が警備しており入ることが出来ないが、天皇誕生日の一般参賀では厳重な手荷物検査を受けて入ることが出来る。 |
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皇居外苑 左折して二重橋濠沿いに歩く |
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皇居外苑 桜田門(渡櫓門) |
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皇居外苑 桜田門(高麗門)
桜田門は江戸城の他の門同様枡形門で、外からは高麗門で入り、直角に次の渡櫓門に向かう。その間の広場で敵を四方から弓矢や鉄砲で攻撃する防御に優れた構造である。 |
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皇居外苑 桜田門(高麗門) |
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皇居外苑 桜田門
旧江戸城外桜田門
現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します
外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外枡形という防御性の高い城門で.西の丸防備のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。建築されたのは寛永年間(一六二四〜四四)とされ、現存する門は、寛文三年(一六六三)に再建された門がもとになっています.大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました.
万延元年(一八六〇)三月三日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。 |
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桜田門交差点で右折、内堀通り(国道20号)へ
正面に「桜田門」の異名を持つ警視庁がある。 |
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内堀通り(国道20号)を北西に進む |
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内堀通り(国道20号) 国会前交差点で左折、六本木通り(都道412号)へ
交差点から先は3本の道に分かれ、正面に国会議事堂が見える。
内堀通りは右側に曲がって半蔵門に向かい、左に曲がると六本木通りとなる。直進すると、特例都道(中央官衙)176号となり、国会議事堂正門に至る。 |
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六本木通り(都道412号) 財務省上交差点で右折、二股路の右側に進む
左側を進むと茱萸(茱萸)坂を上り、総理官邸に着く。 |