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行幸通り 改修された遊歩道を西進
行幸通りは、長らく東京駅丸の内口改修工事のため閉鎖されていたが、きれいな遊歩道になった。あまりに新しすぎて、歩く人が少なく、丸ビルや、新丸ビル沿いの歩道を歩くひとが多い。 |
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行幸通り 和田倉門交差点で日比谷通りを渡る
遊歩道から直接日比谷通りを渡る横断歩道がないので、行幸通りの左の歩道に行く。 |
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行幸通り 和田倉門交差点で日比谷通りを渡る
渡った後、日比谷通り側の信号で遊歩道に行く。 |
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行幸通りのイチョウ並木を西進
行幸通りは、区間は短いものの、都内有数のイチョウ並木で有名である。 |
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行幸通りのイチョウ並木を西進
行幸通りは、天皇の行幸時と、信任状捧呈式に向かう各国大使の送迎の馬車が通る時の専用道である。 |
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行幸通り 突き当りで左折、内堀通りへ |
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内堀通り 皇居外苑沿いに南下 |
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内堀通り 祝田橋交差点で右折、内堀通りへ
交差点を渡り、左には日比谷公園がある。直進すると都道301号(白山祝田田町線)となる。 |
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内堀通り 黄葉のプラタナス並木を西進 |
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内堀通り 赤レンガの旧法務省本館 |
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内堀通り 桜田門交差点で左折、桜田通りへ |
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桜田通り 赤レンガの旧法務省本館
この建物は、明治政府が招聘したドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンの設計により、実施設計・工事には河合浩蔵が参画し、1895年(明治28年)に旧司法省として完成した。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災では、レンガ壁が鉄材で補強されていたため、ほとんど被害を受けなかったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、レンガ壁を残して焼失した。そのため、屋根を天然スレートから瓦にするなどの改修工事が行われ、1950年(昭和25年)法務省本館として再び利用されるようになった。 |
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桜田通り 霞が関一丁目交差点で右折、霞が関坂へ |
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霞が関坂を上る
この坂を霞が関坂といいます。中世のころ関所がおかれていたとされ、景勝地として古歌にもうたわれたものが多く、霞が関の名の起こりとなっているようです。江戸時代は広壮な諸大名の屋敷が建ち並んで錦絵にも描かれました。いまでは霞が関というと中央官庁街の代名詞となっています。 |
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霞が関坂を上る |
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霞が関坂 外務省上交差点で右折、六本木通りへ
横断歩道がないので、六本木通りを右折して国会前交差点に向かう。 |
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六本木通り 国会前交差点で左折、特例都道(中央官衙)176号へ
交差点の突き当りは内堀通りで、斜め右手前に特例都道(中央官衙)176号がある。 |
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特例都道(中央官衙)176号のイチョウ並木を西進
南側(写真左側)に国会前庭庭園の和式庭園があり、北側に洋式庭園がある。 |
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特例都道(中央官衙)176号 国会正門前交差点で右折、特例都道(中央官衙)247号へ
正式には特例都道(中央官衙)247号という大げさな名前だが、国会正門通り、とか分かりやすい通称があっても良い。 |
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国会正門前交差点 国会議事堂
衆議院入口で、国会議事堂の尖塔の右側が参議院、左が衆議院である。 |