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万歩計



(From H14-10-28)

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隅田公園〜吾妻橋〜駒形橋

【関連サイト】   隅田川さくらのライン下り(H16−03−27)
満開の上野、谷中、浅草散策(H20−03−29)


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隅田公園(西岸)を南下 隅田公園(西岸)を南下 

桜橋から見た隅田公園(西岸)で、白いビルは、桜橋の少し下流にあるリバーサイド・スポーツセンターである。
隅田公園(西岸)を南下 隅田公園(西岸)を南下 

紅葉した桜並木を下る。
隅田公園(西岸) 言問橋 隅田公園(西岸) 言問橋 

言問橋の向かいには東京スカイツリーが見える。
隅田公園(西岸) 言問橋 隅田公園(西岸) 言問橋 
隅田公園(西岸)を南下 隅田公園(西岸)を南下 
隅田公園(西岸) 山の宿の渡し 隅田公園(西岸) 山の宿の渡し 

東武伊勢崎線の鉄橋手前にある。
隅田公園(西岸) 山の宿の渡し 隅田公園(西岸) 山の宿の渡し 

 隅田川渡船の一つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。明治四十年(一九〇七)発行の「東京市浅草区全図」は、隅田川に船路を描き、「山ノ宿ノ渡、「山ノ宿ノ渡トモ云」と記入している。位置は吾妻橋上流約二五〇メートル。浅草区花川戸河岸西隣の町名を、「山ノ宿町」といった。渡しの名はその町名をとって命名。別称は、東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。枕橋は墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。
隅田公園(西岸) 水上バスのりば 隅田公園(西岸) 水上バスのりば 

以前は吾妻橋袂にあったが、乗り場が改築中で上流側に仮設置されている。
隅田公園(西岸) 水上バスのりば 隅田公園(西岸) 水上バスのりば 
隅田川に架かる吾妻橋 隅田川に架かる吾妻橋 
隅田川に架かる吾妻橋 吾妻橋交差点 浅草松屋 
吾妻橋交差点 右折して雷門通りへ 吾妻橋交差点 右折して雷門通りへ 
雷門通り 雷門交差点で左折、並木通りへ 雷門通り 雷門交差点で左折、並木通りへ  

雷門は、都内最古の寺院である浅草寺の入口(総門)です。重さ700kgを超える提灯が印象的で、浅草のランドマークとなっています。
雷門通り 雷門交差点で左折、並木通りへ 雷門通り 雷門交差点で左折、並木通りへ  

この交差点を左折して台東区のコミュニティバスの東西めぐりんが走る。逆方向から右折し、都営バスの夢の下町バスも並木通りに入る。
並木通り 東西めぐりん #28 雷門前バス停 並木通り 東西めぐりん #28 雷門前バス停 
並木通り 夢の下町 #6 浅草雷門バス停 並木通り 夢の下町 #6 浅草雷門バス停 
並木通り 駒形橋西詰交差点で左折、浅草通りへ 並木通り 駒形橋西詰交差点で左折、浅草通りへ  
浅草通り 駒形橋西詰交差点 浅草通り 駒形橋西詰交差点 

左に駒形橋がある。
駒形橋西詰交差点 駒形堂 駒形橋西詰交差点 駒形堂 

 『浅草寺縁起』によると、創建年代は朱雀天皇の天慶五年(九四二)で、建立者は安房守平公雅。名称由来には、
 @隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が馳けているようなので、「駒馳け」の転訛。(『江戸名所図会』)
 A観音様へ寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼んだのが訛る。(『燕石雑誌』)
 B駒形神を相州箱根山から勧請したのにちなむ。
『大日本地名辞典』)
これらの説がある。本尊は馬頭観世音菩薩。
 葛飾北斎・安藤広重らによって、堂は絵に描かれた。小さくとも、江戸で名高い堂だった。当時の堂の位置は現駒形橋西詰道路中央付近。堂は関東大震災で焼けた。
駒形橋西詰交差点 駒形堂 駒形橋西詰交差点 駒形堂 

駒形堂の入口には浅草観音戒殺碑がある。
浅草通り 駒形橋 浅草通り 駒形橋 

駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。土地の人々によれば、コマカタは清く発音してコマガタと濁らないと伝えている。ここは古来、交通の要地で、駒形の渡しのあったところである。
江戸の巷説に有名な、
 君はいま
 駒形あたり
 ほととぎす
の句は、文芸・美術などの上で、駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えるものである。



 
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