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昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 
昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 

ここは、明治四年三月一日(1871年4月20日)わが国に新式郵便制度が、発足したとき駅逓と東京の郵便役所(四日市郵便役所とも呼ばれ現在の東京中央郵便局)が置かれたところです。

像は郵便制度を作ったといわれる前島密である。
昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 昭和通り 江戸橋 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 
昭和通り 日本橋川に架かる江戸橋 昭和通り 日本橋川に架かる江戸橋 
昭和通り 江戸橋北交差点で右折、中央区道6号へ 昭和通り 江戸橋北交差点で右折、中央区道6号へ 

東京メトロ半蔵門線は人形町交差点まで中央区道を並走する。
中央区道6号 人形町交差点で人形町通りを渡る 中央区道6号 人形町交差点で人形町通りを渡る 

半蔵門線はこの交差点で右折して水天宮前駅に向かい、日比谷線は人形町通りを南下し、この交差点の人形町駅で浅草線と接続する。
中央区道6号 人形町交差点 玄冶店跡 中央区道6号 人形町交差点 玄冶店跡 

人形町交差点を渡り、左側の人形町通り沿いにある。

江戸時代初期、新和泉町(人形町三丁目)のこの辺りは、幕府の医師であった岡本玄冶の拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれていました。
玄冶店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐が脚色し、嘉永六年で(一八五三)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。
中央区道6号 人形町交差点 玄冶店跡 中央区道6号 人形町交差点 玄冶店跡 
都営 浅草線 人形町駅 都営 浅草線 人形町駅 
中央区道6号 久松警察署前交差点 中央区道6号 久松警察署前交差点 
中央区道6号 久松警察署前交差点 中央区道6号 久松警察署前交差点 

右折すると浜町緑道で、甘酒横丁との交差点に弁慶像がある。
金座通り 久松警察署前交差点 金座通り 久松警察署前交差点 

中央区道6号は久松警察署前交差点から通称金座通りとなる。
金座通り 久松町交差点で左折、清洲橋通りへ 金座通り 久松町交差点で左折、清洲橋通りへ 
清洲橋通り 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡 清洲橋通り 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡 

久松町交差点で左折してすぐのジョナサンのビル外壁に案内板がある。
清洲橋通り 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡 清洲橋通り 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡 

 古歌をとおして、わが国の古典学の基礎を築いた賀茂真淵(一六九七一一七六九)は、現在の浜松市の出身で、はじめ京に出て荷田春満に入門し、元文二年(一七三七)江戸に下り、田安宗武(徳川三卿の一人)に迎えられ、和学を講じた。
 隠居後、浜町山伏井戸の東方に住み、県居の翁と称し、「万葉考」「歌意考」「国意考」「祝詞考」等を著した。また歌会なども多く開き、その作品は今に伝えられている。
 あがた居の茅生の露原かけわけて
  月見に来つる都人かも
 その旧跡は、この地点の北東約百メートルのあたりである。
清洲橋通り 東日本橋交差点の三叉路を右折、清杉通りへ 清洲橋通り 東日本橋交差点の三叉路を右折、清杉通りへ 
清杉通りを北上 清杉通りを北上 
都営 浅草線 東日本橋駅 都営 浅草線 東日本橋駅 



 
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