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靖国通り 靖国神社前 田安門交差点 |
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靖国通り 田安門交差点 「くだんざか・うしがふち 葛飾北斎」
北斎は、江戸本所に生まれる。その作画領域は極めて広く、独特の高い芸術性を示しているが、寛政末頃から享和頃にかけて西洋画の技法を取り入れた、幾つかの風景版画を描いている。この画は画題と落款の平仮名文字を横に寝かせて、左書きにし、画面に入れたシリーズの最も代表的なものの一つである。右側の黄土色の急な坂は九段坂で、かっては“九段”のゆるやかな段がついていたという。
この坂道に面して石垣と長屋塀の武家屋敷があり、坂道には人や家々などの陰が描かれている。その左の濃緑色の崖はさらに高く誇張し、画面の左半分は、はるばると遠景を見通す変化に豊んだ斬新な構図となっている。この画の特徴は樹木や崖に描線を用いず、陰影をつけて立体感を表わそうとしているところである。
左の崖は上方が千鳥が淵、下は牛が淵、その中間を左に入る道は田安鬥に続き、現在は武道館への入り目となっている。空には夏雲がもくもくと湧き上がっていて、すべてが目新らしい西洋風の写生的空問表現となっている。 |
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靖国通り 田安門交差点 「くだんざか・うしがふち 葛飾北斎」 |
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靖国通り 九段坂
九段坂は結構急な坂である。
この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。新撰東京名所図会には、「九段坂は、富士見町の通りより、飯田町に下る長阪をいふ。むかし御用屋敷の長屋九段に立し故、之を九段長屋といひしより此阪をば九段阪といひLなり。今は斜めに平かなる阪となれるも、もとは石以てて横に階を成すこと九層にして、且つ急嶮なりし故に、車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。 |
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都営 新宿線 九段下駅
東京メトロの東西線、半蔵門線と連絡し、半蔵門線は駿河台下交差点まで靖国通りを新宿線と並走する。 |
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靖国通り 九段下交差点で目白通り(内堀通り)を渡る
交差点の右から内堀通りが来て直角に左折、靖国通りと合流して九段坂を上る。交差点から左は目白通りとなる。
東西線はこの交差点を右から左に走り、九段下駅で新宿線と連絡する。
交差点右側の交番横に蕃書調所跡の案内板がある。 |
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靖国通り 日本橋川に架かる俎(まないた)橋
九段下交差点の少し先にある俎橋の上を首都高池袋線が走る。 |
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靖国通り 俎(まないた)橋 寿人遊星 |
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靖国通り 俎(まないた)橋 寿人遊星
この彫刻は、一九八六年ハレー彗星の地球接近を記念し、人々の清福を望み、星と縁(ゆかり)の深い”寿老人"を模して製作されたものであり、「彫刻のあるまち・千代田」として、潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した絵本「かんだ彷徨」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。 |
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靖国通り 日本橋川に架かる俎(まないた)橋 |
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靖国通り 俎橋交差点 再開発中の旧九段下ビル
俎橋を渡ると、古色蒼然とした九段下ビルがあった。 |
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靖国通り 専大前交差点で雉子橋通りを渡る |
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靖国通り 神保町交差点で白山通りを渡る |
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都営 新宿線 神保町駅 |
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靖国通り 神保町古本店街
書籍が日に焼けるのを防ぐため、全ての本屋は北向になっており、靖国通りの右側に並ぶ。 |
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靖国通り 駿河台下交差点で明大通り(千代田通り)を渡る
左折すると明大通りで、御茶ノ水駅に向かい、右折すると千代田通りとなって大手町に進む。半蔵門線はこの交差点で右折し、千代田通りを南下する。 |
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靖国通り 駿河台下交差点界隈のスポーツ用品店街
理由は分からないが、駿河台下交差点を過ぎるとアルペン、ヴィクトリア本店など有名スポーツ用品店が並ぶ。特に冬はスケボーやスキー、鮮やかな色の衣類などが所狭しと展示される。 |
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靖国通り 小川町交差点で本郷通りを渡る |
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都営 新宿線 小川町駅 |
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靖国通り 小川町交差点で本郷通りを渡る |
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靖国通り 淡路町交差点で外堀通りを渡る |
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靖国通り 淡路町交差点で外堀通りを渡る |
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靖国通り Y字路左角の老舗そば店 「まつや」
靖国通りがゆるやかに右に曲がるY字路の左角に有名な老舗そば店の「まつや」がある。 |
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靖国通り Y字路左角の老舗そば店 「まつや」
毎年大晦日に必ず年越しそばの店、ということで中継されるほどの有名店である。昼食時ということもあるが、外で待つ人の列ができている。 |
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靖国通り 須田町交差点で中央通りを渡る
左折すると秋葉原電気街である。もっとも今はヤマダ電機やビックカメラなどの郊外型家電量販店が全盛で、「電気街」としては見る影もなく、「メイド喫茶、AKB48、萌え〜の秋葉原」と化している。 |
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靖国通り 工事が進む東北縦貫線
東北新幹線の上の3階部分に建設している東北縦貫線がよく見える。
現在上野駅が起点となっている東北本線を東京駅まで乗り入れ、東海道本線との直通運転を図るもので、平成26年度完成の予定である。乗り換えが不要になり、山手線などの混雑大幅緩和などのメリットがある一方、上野始発で席に座れたのに、との声も聞こえる。 |
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靖国通り 町名由来 神田須田町二丁目
現在の神田須田町二丁目が生まれたのは、昭和八年(1933)のことです。
大正十二年(1923)の関東大震災の後、東京の町は再編されました。その一環として元柳原町、柳町、小柳町、平永町などの町が合併され、いまの町の区域が定められたのです。
関東大震災から二十二年後の昭和二十年(1945)、第二次大戦下の空襲によって東京はふたたび焼け野原となってしまいます。とくに三月十日の東京大空襲では、東京の東半分がほぽ焼き尽くされました。そんな中にあって、須田町二丁目は町の人々が一致団結して防火にあたったため、町内の一角は戦火をまぬがれることができました。
戦後、須田町二丁目周辺は、ラシャの切り売りなどを生業とする業者が集まり、一時は日本一といわれるほどの繁盛ぶりを示しました。その賑わいも、空襲から命をかけて町を守った人々の努力があったからこそ生み出せたのです。町を愛する住民の気持ちは、戦後も変わりませんでした。
昔から祭り好きの人たちが多い土地柄ですが、この界隈には、神田神社・柳森神社・下谷神社の氏子が集まり住んでいます。いまでもこの須田町に住む人々は、三社の祭礼を五月にまとめてとりおこない、住民が一丸となって伝統ある神田の祭りを盛り上げています。 |
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都営 新宿線 岩本町駅 |