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JR 総武線 錦糸町駅 南口
城東シャトルは錦糸町駅から亀戸駅に向かい、そこから明治通りを南下、新木場駅に着いて、台場の日本科学未来館まで、往復コースで江東区が急行05系統として都バスに委託して土曜、休日のみ運行されている。同様に森下駅から日本科学未来館まで急行06系統として深川シャトルも運行されている。
バス停数 23、営業距離 14.2km(錦糸町駅〜日本科学未来館)
【撮影記録】
平成22年 8月 1日 晴れ
09:55〜11:25 6,900歩(概算 4.8km 営業距離 4.8km)
始めは曇っていたが、そのうち晴れてきたら湿度90%前後となり、熱中症にならないよう、全工程の1/3で歩くのを止めた。深川シャトルは観光バスであり、停まる場所も門前仲町、豊洲など有名地だけの特急だが、城東シャトルは新木場から国際展示場までの区間以外は全バス停に停る区間準急である。 |
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錦糸町駅 南口 バスターミナル
南口ターミナルにはいくつもの乗り場があるが、城東シャトル(都営 急行05)は最も東の1番である。 |
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城東シャトル 始発(#1) 錦糸町駅前 バス停 |
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城東シャトル 始発(#1) 錦糸町駅前 バス停 |
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京葉道路 錦糸町駅前交差点で四ツ目通りを渡る
左折すると東京スカイツリーがある押上に向かい、右折すると猿江恩賜公園がある住吉に着く。 |
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京葉道路を東進 |
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城東シャトル #2 江東車庫前 バス停 |
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京葉道路 都交通局 江東自動車営業所 |
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京葉道路 横十間川に架かる松代橋を渡る
松代橋の少し手前に江東車庫前 バス停があり、少し先に亀戸一丁目バス停がある。 |
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城東シャトル #3 亀戸一丁目 バス停 |
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京葉道路 亀戸駅前交差点で右折、明治通りへ |
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明治通り 亀戸駅前交差点からの風景
バス停は左の木立の中にある。 |
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城東シャトル #4 亀戸駅通り バス停 |
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明治通り 亀戸駅前南交差点 |
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明治通りを南下
明治通りは五ノ橋通りでもあるが、すぐ先の五ノ橋を過ぎるとこの名前は出てこない。
一ツ目通りから五ツ目通りまであるが、その由来は清澄通り(二ツ目通り)に説明碑がある。二ツ目通りは清澄通り、五ツ目通りは明治通りの方が有名である。
明暦三年(1657)江戸の大半を灰にした例の明暦大火の後、幕府は市街地の区画大整理を行いました。万治二年(1659)、江戸城の再興と共に開始された大事業は寛文元年(1661)に完了しました。開拓は道路と河川を一体的に整備したもので東西及び南北を軸とした、直線的な計画がなされていました。その中で、深川地区は竪川の掘削の後、架けられた橋に西から一之橋、二之橋、・・・五之橋と名付けられました。その後、各々の橋の通りが通り名となったようです。二ツ目通りは竪川二之橋通りと呼ばれ、その後簡略化され、二ツ目の橋通りを経て、二ツ目通りと呼ばれるようになりました。江戸名所図会には五間掘りに架かる立派な弥勒寺橋と共に竪川二之橋通りの名が残されています。 |
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明治通り 竪川に架かる五之橋を渡る
高架は首都高7号小松川線である。 |
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明治通り 五之橋北詰 旧千葉街道碑
旧千葉街道は竪川沿いに設けられていた。 |
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明治通り 竪川に架かる五之橋を渡る |
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明治通り 五之橋由来
五之橋の下を流れる竪川は、万治2年(1659年)本所築立奉公であった徳山五兵衛重政及び山崎四郎左衛門が、大横川、横十間川と共に新田開発を目的として開削した用水路であった。
竪川の開削に合わせ西の方から、一之橋を始めとして五つの橋が架けられた。当時この付近は、畑地が多く人の往来も少なかった。
御府内備考によれば、「御入用無益之場所」として、貞享元年(1684年)本橋は取り払われ船渡しとなったと言われている。
元禄8年(1695年)五百羅漢寺が建立されたため、この渡しを利用するものも多くなり、「羅漢の渡し」や「五ツ目の渡し」と呼ばれ人々に親しまれてきた。
その後、明治12年(1879年)の木橋が架けられたが大正12年の大震災により落橋した。
震災復興により昭和3年本橋は鋼橋に架け替えられた。 |
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明治通り 五之橋界隈案内図 |
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城東シャトル #5 五ノ橋 バス停 |
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城東シャトル #5 五ノ橋 バス停
バス停の時刻表には土曜、休日のみの運行であることが明記されており、30分ごとに運行されている。 |
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明治通り 区民センター前交差点で新大橋通りを渡る
新大橋通りの地下を都営新宿線が走る。 |
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明治通り 区民センター前交差点 五百羅漢跡碑
五百羅漢は、元禄八年(一六九五)に松雲元慶禅師により創建された黄檗宗の寺院です。禅師は貞享年間(一六八四〜八八)に江戸へ出て、元禄四年(一六九一)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄八年、将軍徳川綱吉から天恩山五百羅漢寺の寺号と六千坪余の寺地を賜り、ここに自ら彫像した羅漢像など五三六体を安置しました。
当寺の三匝堂は、廊下がらせん状に三階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつでした。区内には、五百羅漢までの道筋を示す道標が二基現存しています。
羅漢寺は明治二十年(一八八七)本所緑町(現墨田区)へ移り、さらに同四十二年(一九〇九)現在地(目東区)へ移転しました。
ここに残る石柱は、五百羅漢跡を示すために昭和三十三年に建てられたものです。 |
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明治通り 区民センター前交差点 五百羅漢跡碑 |
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明治通り 区民センター前交差点 都営新宿線 西大島駅 |
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城東シャトル #6 西大島駅前 バス停 |