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馬道通り 二天門前交差点
開通した時は馬道通りを北上し、馬道交差点で右折し言問通りに出て、言問橋西交差点で左折、今戸神社に向かっていた。
路線延伸(昨年(平成22年)9月1日)以後はすぐ先の二天門前交差点で右折、台東区民会館横を進んだ。
今回の浅草ライン分離で以前のようになった。 |
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馬道通り 二天門前交差点 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は11:40で、温度33.8℃、湿度57%、熱中症計は厳重警戒である。
55分前の言問通りの西浅草三丁目交差点では、温度35.8℃、湿度58%、熱中症計は警戒であった。湿度は変わらないが、温度は下がっている。撮った場所が日陰のせいかも知れない。
熱中症対策で首周りを冷凍した保冷剤で冷やしているが、30分で温くなり、1時間経ったこの起点では別のものに取り替えざるを得なかった。 |
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馬道通り 馬道交差点で右折、言問通りへ
北めぐりんはこの交差点の左(西)から入り、右折して馬道通りを南下、吾妻橋に向かう。 |
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言問通り 赤茶けた葉もあるいちょう並木
昨年の酷暑では枯死した葉が多く付いた並木をあちこちで見たが、今年はまだそれほどでもない。 |
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言問通り 旧・浅草猿若町
江戸時代に歌舞伎は大衆に支持される一大娯楽となったが、幕府は風紀の乱れを恐れ、様々な規制を設けて、統制を強めてきた。老中・水野忠邦の「天保の改革」の際に芝居小屋廃止を打ち出すことになったが、遠山左衛門尉影元(遠山の金さん)の「庶民の娯楽を奪うことは、却って人心の安定に役立たない」との献策を受け、日本橋周辺にあった幕府公認の芝居小屋を江戸城郊外に当たる当地へ強制移転させることにした。
一八四二年(天保一三年)当地に新しく芝居町が造られ、江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎(のちの初代中村勘三郎)の名から「猿若町」と命名された。ここには芝居小屋、芝居茶屋、役者や芝居関係者の住まいなどが造られ、大勢の江戸の人々が「猿若三座」の歌舞伎や人形浄瑠璃を見物するため繰り出したと言われている。 |
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言問通り 旧・浅草猿若町 |
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言問通り 言問橋西交差点から見える東京スカイツリー |
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言問通り 隅田公園 西岸
桜並木も青々としている。 |
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言問通り 隅田川に架かる言問橋
言問橋からは正面に東京スカイツリーが見え、建設中は写真を撮る人で混雑したが、今はあの熱気はどこに行ったのだろう、と思うほど誰もいない。 |
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言問通り 隅田川に架かる言問橋
下流には吾妻橋が見え、東岸には墨田区役所やアサヒビールが見える。 |
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言問通り 隅田川に架かる言問橋 |
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言問通り 隅田公園、牛嶋神社
右折すると牛嶋神社、隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)に至る。 |
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言問通り 言問橋東交差点
江戸通りはこの交差点で左折し、右折すると三ツ目通りである。 |
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言問通りを東進
東京スカイツリーに向かって歩く。 |
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言問通り 向島三丁目交差点 |
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言問通り 向島一丁目交差点から見た東京スカイツリー |
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言問通り 東武伊勢崎線 業平橋駅 |
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言問通り 東武伊勢崎線 業平橋駅
東京スカイツリーが開業した時には観光客が殺到するであろう業平橋駅は、駅の設備増強工事が進められている。 |
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言問通り 北十間川に架かる東武橋
東京スカイツリーが建設中の時は、この橋から写真を撮る人で大混雑し、警備員が立っていた。 |
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言問通り 北十間川に架かる東武橋から見た東京スカイツリー |
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言問通り 東武橋から見た工事中の北十間川遊歩道 |
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言問通り 東武橋 熱中症計は危険
現在時刻は12:00で、温度36.0℃、湿度52%、熱中症計は危険である。
20分前の馬道通りの二天門前交差点では、温度33.8℃、湿度57%、熱中症計は厳重警戒であった。湿度は変わらないが、温度は2日陰木陰と、まともに日差しを浴びる橋との違いかも知れない。
蒸し暑くはないが、日差しの強さをひしひしと感じ、二天門前交差点で交換した保冷剤もすっかり生温くなっている。 |
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言問通り 業平一丁目交差点で右折、浅草通りへ |