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上野公園通りの坂を上る
右に山手線があり、上野公園通りとの間に車道がある。不忍口を出てすぐにある階段を上り、上野公園通りを歩く。
先の高架は上野駅のパンダ橋口と上野公園を結ぶパンダ橋である。 |
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上野公園通り 上野駅 公園口 |
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上野駅公園口交差点で左折すると上野公園
直進すると大噴水前の広場を経て、上野動物園に至る。 |
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上野公園通り ニンニンパンダバス(上野ライン) #2 JR上野公園口?
東西めぐりんの#20上野公園バス停であるが、ニンニンパンダバスのバス停は見当たらない。
ニンニンパンダバスの運用はかなりでたらめで、バス停が案内図通りでなかったり、無かったりするので注意深く探しながら歩いた。
上野公園通りでバスが停まる場所は限られており、あるとしたらここしか無い。しかし、バス停がないのはここだけではない、とは思わなかった。 |
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東西めぐりん #20 上野公園
後方のバス停は台東区役所からの往路で#2バス停、手前は台東区役所に向かう復路の#22バス停である。
バス停を共用するコミュニティバスが当たり前で、誤って別路線に乗らないよう、運転手はかなり神経を使っている。台東区は素晴らしい。
ちなみに、以前は#2は上野駅入谷口で、そこから両大師橋の急坂を上っていた。経路変更がなされていたが、台東区のホームページでも改定されていないものがある。 |
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上野公園通り 国立科学博物館 ラムダ・ロケット用ランチャ |
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上野公園通り 国立科学博物館 ラムダ・ロケット用ランチャ
1970(昭和45)年2月11日、鹿児島県の東京大学宇宙空間観測所から、世界最小の人工衛星を積んだラムダ4S型ロケット5号機が、ここに展示されているラムダ用ランチャにより、「無誘導打ち上げ方式(重力ターン方式)」で打ち上げられた。
打ち上げ場所となった大隅半島にちなみ「おおすみ」と名付けられたこの人工衛星は、33年間飛び続けたのち、2003(平成15)年8月2日、北アフリカ上空で大気圏に再突入し消滅した。
1966(昭和41)年の1号機から4度の失敗を乗り越え、人工衛星投入に成功。日本は1955(昭和30)年4月のペンシル・ロケット発射実験から、わすか15年でソ連(当時)、米国、仏国につぎ、世界で4番目に人工衛星の打ち上げに成功した国となった。
このランチャは、昭和49年まで一連のラムダ・ロケットの実験に使用された後、当館に移管・展示されたものである。 |
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上野公園通り 両大師橋前交差点で左折、都道 神田白山線(452号)へ |
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都道 神田白山線(452号) 上野公園 東京国立博物館
東西めぐりん #3東京国立博物館バス停は、正面手前にある。
この付近にニンニンパンダバスの#3国立博物館バス停があるはずだが、どこにも見当たらない。 |
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都道 神田白山線(452号) 工事中の竹の台広場(大噴水広場)
大噴水広場一帯は、竹の台広場再生整備工事のため、工事用フェンスに囲われている。 |
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都道 神田白山線(452号) 上野公園 旧因州池田侯表門(黒門)
黒門と言えば上野彰義隊を連想するが、由緒書を読むと別物である。本物は戦死者を葬った縁で、南千住の円通寺にある。
この門は、もと因州(現在の鳥取県の一部)池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。
創建年代は明らかでないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。 |
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都道 神田白山線(452号) 東西めぐりん #4 旧東京音楽学校奏楽堂
東西めぐりんの#5−1東京芸術大学が新設されたためか、#4は名称が改定された。左奥に奏楽堂がある。 |
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都道 神田白山線(452号) 東京藝術大学 |
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都道 神田白山線(452号) ニンニンパンダバス(上野ライン) #4 東京芸大前?
#2、3、4とどこにもバス停の影すら見えない。案内図や上野公園での位置関係から、この付近にバス停があるはずである。
公式ホームページに7月1日より運行、と記載してこの体たらくはお粗末どころか、詐欺である。
東西めぐりん #5−1東京芸術大学バス停で、新設である。知らなかったが、#5−1となって2本に1本の運行となり、手前で右折して#5−2寛永寺行きが2本に1本となった。通常は1時間に4本なので、30分間隔となる。
たまたま振り返ったら、手前で右折し寛永寺に向かうパンダバスが見えたので、運行していることは確認できた。 |
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都道 神田白山線(452号) 突き当りを左折
谷中霊園に向かうには、中央の小路を進むと言問通りの上野桜木交差点に出て、そのまま直進する。車1台やっとと狭いうえ、一方通行のためこちらからは自動車は行けない。
東西めぐりんもここで左折する。 |
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東西めぐりん #6 上野桜木会館
交差点を曲がってすぐにバス停があり、こんな所になかったはずだが、と一瞬驚いた。新設バス停で、上野桜木会館は交差点の突き当たりの和風建物である。 |
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突き当たり 護国院前で右折
護国院は、天海の弟子生順が、釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手裏に開創した.承応二年(一六五三)・延宝八年(一六八〇)に寺地を西方へ移転し、さらに、宝永六年(一七O九)現在地に移った。延宝八年・宝永六年の移転は、それぞれ四代将軍家綱廟・五代将軍綱吉廟の建立にともなうものである.また、昭和二年、第二東京市立中学校へ現(都立上野高校)建設にともない、本堂を現在の位置に移した。 |
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曲がってすぐの交差点で左折、三段坂へ
道の先に東西めぐりんの#7谷中清水町公園バス停がある。 |
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三段坂を下る
「台東区史」はこの坂について、「戦後、この清水町に新しい呼名の坂が、十九番地から二十一番地にかけて屋敷町の大通りに生まれた。段のついた坂なので三段坂と呼ばれている。」と記している。戦後は第二次世界大戦後であろう。清水町はこの地の旧町名。この坂道は明治二十年(一八八七)版地図になく、同二十九年版地図が描いている。したがって、明治二十年代に造られた坂道である。
角を曲がっての第一印象は坂がうねっており、三段に見えることである。 |
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三段坂を下る |
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三段坂 突き当たりで左折、動物園通りへ
東西めぐりんは谷中を周回した後に言問通りに出て左折、右から左に走る。 |
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動物園通り 東西めぐりん #18 池之端四丁目
以前は#16だったが、2ヵ所増設されて#18となっている。上野高校のグランドのコンクリート壁に沿ってバス停がある。 |
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動物園通り 清水坂下交差点
護国院前で左折し、清水坂を下ってきた交差点である。 |
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動物園通り 水月ホテル 鴎外荘
入ってすぐ右がホテルで、その先のガラスドアの先に森鴎外居住の跡と称する平屋の建物鴎外荘がある。
ホテルの係員が建物の入口に居ることがあり、入ろうとすると誰何されたり、食事ですか、お泊りですかと聞かれることがあり、敷居は結構高い。 |