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万歩計



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東西めぐりん 始発バス停 台東区役所 東西めぐりん 始発バス停 台東区役所 

左の台東区役所に行くと、受付で南北、東西めぐりんの詳細な地図が付いた路線図を貰うことが出来る。詳細とは言え、小路を走る区間もあり、役立たないこともある。
東西めぐりん 始発バス停 台東区役所 東西めぐりん 始発バス停 台東区役所 

東西めぐりんは、台東区役所から上野公園、谷中霊園、三崎坂、谷中よみせ通り、千駄木駅、谷中霊園、不忍池、かっぱ橋本通り、雷門、南部区民事務所、新御徒町駅、台東区役所に至る巡回コースを走る。北めぐりんとは浅草駅で、南めぐりんとは台東区役所、上野学園で乗り換えることが出来る。
駅数 34、営業距離 12km

【撮影記録】
平成21年 5月 1日 快晴
10:15〜14:15 20,000歩(昼食 15分) (概算 16.0km)

やや暑いぐらいだったが、湿気は少なく歩きやすかった。東西めぐりんは今流行の「谷根千」の谷中を中心に回る路線で、至る所に中高年のグループがおり、狭い道を横数列(一列で無い!)に並んでのんびり歩くため、歩行者だけでなく、自転車の人からも文句を言われていた。上野〜谷中〜上野の周回コースからかっぱ橋本通りに入り、浅草、新御徒町、台東区役所の区間は生活路線である。
区役所から西進、突き当りを右折 区役所から西進、突き当りを右折 

区役所を出てすぐの突き当りである。
突き当りを左折、西進 突き当りを左折、西進 

正面のビルは東京メトロである。
東上野交差点で昭和通りを渡る 東上野交差点で昭和通りを渡る 
突き当りを右折、入谷口通りへ 突き当りを右折、入谷口通りへ 

正面が上野駅入谷口で、その前に東西めぐりん #2 上野駅入谷口バス停がある。
東西めぐりん #2 上野駅入谷口 東西めぐりん #2 上野駅入谷口 
凌雲橋歩道橋手前で左にUターン 凌雲橋歩道橋手前で左にUターン 

文字通りUターンするかのような曲がり方で都道 神田白山線に進み、両大師橋に向かう。
凌雲橋は、鶯谷駅前のJRの跨線橋で、なぜ歩道橋の名前に付いているのかは分からない。
都道 神田白山線 両大師橋に向かう急坂 都道 神田白山線 両大師橋に向かう急坂 
都道 神田白山線 両大師橋 都道 神田白山線 両大師橋 

隣接するビルの5〜6階に相当する高さで、かなりの急坂である。
都道 神田白山線 両大師橋 都道 神田白山線 両大師橋 
都道 神田白山線 上野寛永寺 旧本坊表門 都道 神田白山線 上野寛永寺 旧本坊表門 

両大師橋を渡った両大師橋前交差点にある。

江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔伽藍が、整然と配置されていた。現在の噴水池周辺(竹の台)に、本尊薬師如来を奉安するする根本中堂、その後方(現 東京国立博物館敷地内)に本坊があり、「東叡山の山主しである」輪王寺宮法親王が居住していた。
慶応四年(一八六八)五月の上野戦争のため、本坊はことごとく焼失し、表門のみ戦禍を免れた。
都道 神田白山線 上野寛永寺 両大師 都道 神田白山線 上野寛永寺 両大師 

正保元年(一六四四)に寛永寺開山天海僧正の像を安置するため建立された。後に延暦寺の慈恵大師の像も安置されたため、、両大師となった。
上野公園 上野公園 
上野公園 東京国立博物館 上野公園 東京国立博物館 

奈良興福寺の国宝阿修羅像の展覧会が行われており、歩道を渡って行く見物客が多い。
東西めぐりん #3 東京国立博物館 東西めぐりん #3 東京国立博物館 

東西めぐりんは、人気の「谷根千」の一つ谷中に行くのに便利で、中高年グループの利用で賑わっている。
上野公園 東京国立博物館前を走る東西めぐりん 上野公園 東京国立博物館前を走る東西めぐりん 

レトロな雰囲気のバスが人気の理由の一つである。
上野公園 旧因州池田侯表門(黒門) 上野公園 旧因州池田侯表門(黒門) 

黒門と言えば上野彰義隊を連想するが、由緒書を読むと別物である。本物は戦死者を葬った縁で、南千住の円通寺にある。

 この門は、もと因州(現在の鳥取県の一部)池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。
 創建年代は明らかでないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 

 この建物は、明治二十三年(一八九〇)東京音楽学校(現東京芸術大学)本館として建設された。設計は山口半六、久留正道で、わが国初の本格的な音楽ホールであり、音楽教育の記念碑的な存在である。
 中央天井をヴォールト状(かまぼこ型)に高くし、視覚、排気、音響上の配慮がなされている。また、壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められ、遮音効果をあげるなど技術的な工夫があり、貴重な建築物である。
 この奏楽堂からは、滝廉太郎を始めとする幾多の音楽家を世に送り出してきたが、老朽化が進み、取壊しの危機にひんしていた。しかし、音楽関係者を始めとする多くの人々の保存に対する努力が実り、昭和六十二年三月、歴史と伝統を踏まえ、広く一般に活用されるよう、この地に復元された。
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 滝廉太郎像 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 滝廉太郎像 
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂界隈案内図 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂界隈案内図 
東西めぐりん #4 東京芸術大学 東西めぐりん #4 東京芸術大学 

 
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