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旧東海道〜鶴見駅〜鶴見總持寺

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京浜東北線・根岸線H1904(川崎〜旧東海道〜鶴見)


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旧東海道 京急本線 八丁畷駅の踏切を渡る 旧東海道 京急本線 八丁畷駅の踏切を渡る 
旧東海道 八丁畷の由来と人骨 旧東海道 八丁畷の由来と人骨 

 江戸日本橋を出発点とする東海道は、川崎宿を過ぎてから隣の市場村(現在の横浜市鶴見区尻手・元宮・市場のあたり)へいたります。この区間は八丁(約八七〇メートル)あり、畷といって、道が田畑の中をまっすぐにのびていましたので、この地を八丁畷と呼ぶようになりました。
 八丁畷の付近では、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても、道路工事などでたびたび掘り出され、その数は十数体にも及びました。これらの人骨は、東京大学の人類学の専門家によって科学的に鑑定され、江戸時代ごろの特徴を備えた人骨であることが判明しました。
 江戸時代の記録によりますと、川崎宿では震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、多くの人々が落命しています。おそらく、そうした災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎宿のはずれの松や欅の並木の下にまとめて埋葬したのではないでしょうか。
 不幸にして落命した人々の霊を供養するため、地元では昭和九年、川崎市と図ってここに慰霊塔を建てました。
旧東海道 八丁畷 慰霊塔 旧東海道 八丁畷 慰霊塔 

八丁畷の踏切を渡ってすぐ左にある。
旧東海道 市場上町交差点 旧東海道 市場上町交差点 

この交差点の手前に、600m先に市場一里塚あり、とのお馴染みの川崎市の標識が立っていた。しかし行けども行けども該当するものがない。
旧東海道 想定浸水深の表示 旧東海道 想定浸水深の表示 

この地域の洪水時・震災時の避難場所は市場り小学校です。
この地域は鶴見川が氾濫すると1.0m浸水する可能性があります。

この表示から鶴見川橋まで約800mで、さすがに横須賀のように津波警戒ではないが、それでも氾濫すると1mも浸水するのか、と思う。
旧東海道 熊野神社 旧東海道 熊野神社 

昨年(平成23年)に横須賀線沿線を歩いた時に、新川崎駅から南下して熊野神社脇に出て旧東海道を鶴見駅に向かった。
旧東海道 市場一里塚 旧東海道 市場一里塚 

 慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、合わせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。里程の目標と人馬の休憩のための目安として,江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎を植えました。
 ここは江戸より五里目の塚に当り、市内で最初の一里塚です。左の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。
 昭和8年(1933)6月「武州橘樹郡市場村一里塚」(添田坦書)の碑が建立されました。
 平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
旧東海道 市場一里塚 旧東海道 市場一里塚 
旧東海道 市場一里塚 旧東海道 市場一里塚 
旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋 旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋 

江戸日本橋から来た場合、最初に渡る橋であった鶴見川橋(当時の名称は「鶴見橋」でした。)は、「東海道五十三次」や「江戸名所図会」|こ描かれ、ここからの眺めは海原や富士山が臨め、茶屋などが多く賑わっていたといいます。
旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋 旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 

鶴見川橋を渡って鶴見図書館手前にある。

江戸時代、ここは寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)へ向う道との分岐点で、このように「寺尾稲荷道」と記された大きな道標がたてられていました。寺尾稲荷社は、馬術上達や馬上安全の祈願で知られ、江戸からの参拝者も多かったといいます。またこの道は菊名へ向かう寺尾道や川崎へ向う小杉道にもつながる、この地域の大切な道でした。なお、当時の道標は、現在、鶴見神社境内にあり、ここにあるのはその複製です。
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見図書館 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見図書館 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 旧東海道 案内板 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 旧東海道 案内板 

鶴見図書館前にある。

古代から多くの人に利用されていた東海道は、17世紀のはじめ、徳川家康により江戸と京都を結ぶ重要な街道として整備されました。宿場が設けられ、距離の目安として一里(約4km)ごとに道の両側に一里塚を築きました。市場西中町には、この一里塚が片側だけ、今も残っています。海に面して景色が優れていた鶴見や生麦は、川崎宿と神奈川宿の間の「間の宿」としてにぎわい名物、「よねまんじゅう」を商う店や茶屋が繁盛したといいます。
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点で区役所通りを渡る 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点で区役所通りを渡る 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点 
旧東海道(鶴見東口駅前通り) 京急本線 京急鶴見駅 旧東海道(鶴見東口駅前通り) 京急本線 京急鶴見駅 

旧東海道は京急の高架の南側の道で、特に遺構はない。道をかなり歩き、下野谷町入口交差点で第一京浜を渡り、生麦事件の生麦魚河岸通りへ進むことが出来る。

JR鶴見駅は右手のバスロータリーの方にある。
JR 京浜東北線・根岸線 鶴見駅 JR 京浜東北線・根岸線 鶴見駅 

駅ビル工事中で西口への連絡通路が非常に不便である。5年前に来た時はまっすぐに行くと西口に出られたが、今回はホーム沿いに東京側に進み、跨線橋を渡って西口に出て、さらに南下して西口のバスロータリーに向かう。
JR 鶴見駅東口 バスロータリー、京急鶴見駅風景 JR 鶴見駅東口 バスロータリー、京急鶴見駅風景 

広いバスやタクシー乗り場の向こうに京急鶴見駅の高架が見える。
JR鶴見駅 連絡通路を出て西口交番前交差点を出る JR鶴見駅 連絡通路を出て西口交番前交差点を出る 
鶴見駅西口交差点に出て左折、JR線路沿いに南下 鶴見駅西口交差点に出て左折、JR線路沿いに南下 
JR 鶴見駅西口 バスロータリー JR 鶴見駅西口 バスロータリー 
總持寺学園 鶴見大学 總持寺学園 鶴見大学 

JRの線路沿いに南下すると、總持寺に隣接して鶴見大学がある。
曹洞宗 大本山 總持寺 入口 曹洞宗 大本山 總持寺 入口 

節分会の準備が行われている。



 
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