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曹洞宗 大本山 總持寺 入口
節分会の準備が行われている。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 参道(白字渓)
總持寺は元亨元年(1321年)瑩山禅師により能登に開創されたが、明治31年の大火で多くが焼失、今後の発展を考え、明治44年に鶴見に移転した。三松閣や、三門、向唐門(勅使門)、大祖堂(瑞応殿)、御霊殿など、鬱蒼とした森の中にある永平寺とは違った雰囲気である。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三松関(総門) |
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曹洞宗 大本山 總持寺 境内案内図
後での写真整理のため撮ったが、褪色しており、分かりにくい。ホームページに掲載されており、そちらの方が分かりやすい。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三門 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 境内 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 三松閣
信者のための研修道場で、宿泊施設でもあり、1階には数珠、線香、土産物の売店がある。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 金鶏門 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂(瑞応殿)、仏殿
金鶏門から入ると、右に緑青が吹いた大屋根の大祖堂(瑞応殿)、左に仏殿が見える。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂(瑞応殿)、紫雲臺 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 紫雲臺 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 紫雲臺 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 紫雲臺
紫雲臺
本山最大の貴賓建造物
本山貫首四衆相見の間
貴賓接待用大小十室の大書院
襖は近代有名画伯筆金泥極彩色
及墨絵 紫雲庭は松尾半古斎作
唐破風造大玄関付 総檜造
梁間十四間 桁行十七間 入母屋造
扁額「紫雲臺」は本山独住第三世
西有穆山禅師筆 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 大祖堂 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 仏殿横の仏像
説明板が無いので、詳細不明だが銀色の仏像は珍しい。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 仏殿 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂
仏殿の左手にある。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂
説明板の墨がかすれて読めないが、ホームページには次のように書かれている。
明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された記念すべき建物です。
この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されましたが、總持寺移転に際して特別に献納された由緒があり、当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしました。
現在は全国檀信徒の永代供養のご位牌を祀り、日夜回向しています。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 放光堂からの風景
左手に仏殿、正面奥に紫雲臺が見える。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 被災霊骨奉祀の仏塔 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 被災霊骨奉祀の仏塔
案内板はまったく読めないが、昭和43年3月6日に何か災害(火災?)が起きたらしい。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 仏殿 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 向唐門
菊の御紋章が飾られている。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 香積台 (総受付) |
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曹洞宗 大本山 總持寺 向唐門
手前に柵があり近づけない。 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 香積台 (総受付)、三松閣 |
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曹洞宗 大本山 總持寺 参道(白字渓) |
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曹洞宗 大本山 總持寺 境内案内図 |