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元町通り 国分寺の碑
七重塔跡から武蔵国分寺跡資料館手前まで戻る。七重塔跡で聞いた道順に従い、元町通りを西進する。 |
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元町通り 国分寺界隈案内図
現在地の赤マークの右に国分寺があり、その先に武蔵国分寺跡資料館、お鷹の道がある。赤マークの上(北)に薬師堂があることが分かる。 |
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国分寺
なんの説明案内もない。
国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の命により鎮護国家を祈願して創建された。当時の遺構は無いが、鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった分倍河原の合戦で国分寺を焼亡させた新田義貞が寄進した薬師堂が、江戸時代に再利用され、仁王門になった。国分尼寺も西国分寺駅近くに案内があったが、直前での案内がなく、道が分からず断念した。 |
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国分寺 |
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国分寺 楼門
建物は間□三間(約6.2メートル)奥行二間(約3.7メートル)の楼門造り、板金葺で、江戸時代の建築様式をよくとどめています。
この門は、米津出羽守田盛(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治二十八年に移築したものです。国分寺境内の諸建築物とともに、国分寺の変遷を知るうえで重要な建物です。
※米津出羽守
出身地は、三河国碧海郡米津村で出羽守田盛の時に久留米村前沢を知行地とする。石高は、一万五千石、大阪定番を勤める。 |
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国分寺 楼門
国分寺門前に立っている。 |
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国分寺 仁王門
この門は、宝暦年間(一七五一〜一七六三)に建立された入母屋造りの八脚門で、間口が九.0メートル、奥行きが三.六メートルあります。
使用されている建築材は、『新編武蔵風土記稿』の仁王門の条「此の近世までの薬師堂なりしを再興の時きりちぢめて仁王門になせり」とあるように、建武二年(一三三五)に建立された旧薬師堂(江戸時代初め頃の「国分寺村古絵図」によると僧寺の金堂跡付近にあった)に使用されていたものを再利用とした伝えられていますが、杉材の柱などに残る組立て用の穴の彫り方からこのことがうかがえます。
この門の左右には、阿(口を開いている)・吽(口を閉じている)二体の仁王像(高さ二.五メートル)が安置されていますが、享保三年(一七一八)に造立されたもので、作者は不明です。 |
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国分寺 仁王門
薬師堂入口にあり、この門をくぐり、階段を上った所に薬師堂がある。 |
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武蔵国分寺跡
天平十三年(七四一)の聖武天皇の命により、鎮護国家を祈願して創建された武蔵国分寺は、昭和三一年依頼の発掘調査によって東西七二〇メートル、南北(中軸線上)五五〇メートルの寺地と、寺地中央北寄りの僧寺寺域(三六〇〜四二〇メートル四方)および寺地南西隅の尼寺寺域(推定一六〇メートル四方)が明らかになり、諸国国分寺中有数の規模であることが判りました。
僧寺では諸国国分寺中最大規模の金堂をはじめ講堂・七重塔・鐘楼・東僧坊・注文・塀・北方建物、尼寺では金堂(推定)・尼坊などが調査されています。
武藏国文化興隆の中心施設であった国分寺の終末は不明ですが、元弘三年(一三三三)の分倍河原の合戦で焼失したと伝えられています。 |
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武蔵国分寺跡 |
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階段を上り、薬師堂へ |
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国分寺 薬師堂 |
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国分寺 薬師堂
薬師堂に安置されている木造薬師如来坐像は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期の製作と考えられ、作者は不明です。
寄木造の漆箔仕上げで、像高は約一九一.五センチメートルあります。蓮華座に坐し、印相は右手が施無畏印、左手に薬壷を持っています。台座および光背は後代の補作と思われます。
薬師如来は、日光・月光の両菩薩を脇侍とし、眷属として十二神将を従えていますが、当国分寺の十二神将は、頭部の墨書から元禄二年(一六八九)の作であることがわかっています。
薬師堂は、建武二年(一三三五)に新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられているもので、その後、享保元年(一七一六)に修復されましたが、宝暦年間一七五一〜一七六三)に現在地で再建されたものです。
堂内正面の長押には、明和元年(ー七六四)奉献された深見玄岱の筆になる「金光明四天王護国之寺」の寺額がかけられていますが、この寺額は東大寺西大門の勅額を模したものです。 |
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薬師堂から元町通りに出て、西進
道なりに坂を上って行く。 |
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消火訓練中の国分寺消防署 西元出張所署員
元町通りを歩いていたら、西元出張所横の右手奥の木立に大きな寺が見えたので、立ち寄ることにした。進むと国分寺西門の碑がある。 |
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国分寺 薬師堂
どこかで見たような建物だな、と思ったら元町通りの坂を下った所で参拝した薬師堂だった。階段を上る代わりに、坂を上ってきたことになる。 |
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国分寺 薬師堂 |
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元町通り 国分寺消防署 西元出張所 |
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元町通り 武蔵国分寺公園(西元地区)
武蔵国分寺公園の西端を歩いている。 |
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元町通り 国分寺四小入口交差点で左折、多喜窪通りへ
右角に国分寺市立第四小学校がある。 |