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JR 京葉線 始発 東京駅 地下丸の内口
京葉線は東京駅を始発とし、新木場、舞浜、新浦安、南船橋、海浜幕張を経て蘇我を終点とする。
駅数 17、営業距離 43.0km
【撮影記録】
平成23年 6月 9日 晴れ 時折 曇り
10:15〜12:20 11,600歩(概算 9.3km 地図上の距離 9.0km)
京葉線 東京〜越中島〜新木場
営業距離 7.4 km 駅数 4
5月に梅雨入りし、梅雨の晴れ間を見計らって歩いたが、時折曇るものの、概ね天気は良かった。酷暑だった去年のこともあり、熱中症計を持って歩いたが、特に問題はなかった。 |
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JR 京葉線 始発 東京駅 地下丸の内口 |
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東京駅 京葉線 地下連絡通路
京葉線沿いに西側の丸の内と、東側の八重洲とを結ぶ連絡通路である。 |
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JR 京葉線 始発 東京駅 地下八重洲口 |
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パシフィック・センチュリープレイス裏 出入口 |
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パシフィック・センチュリープレイス横に出る |
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鍛冶橋通り 鍛冶橋交差点で外堀通りを渡る |
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鍛冶橋通り 鍛冶橋交差点で外堀通りを渡る |
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鍛冶橋通り 京橋交差点で中央通りを渡る |
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鍛冶橋通り 京橋交差点 熱中症計は警戒
現在時刻は10:25で、温度29.0℃、湿度48%である。熱中症計は警戒段階である。
少し暑いかな、と思ったが温度が29℃とは思わなかった。 |
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鍛冶橋通り メトロリンク日本橋 #12 地下鉄京橋・宝町駅
日本橋界隈を走る無料シャトルバスのメトロリンク日本橋は、バス停が分かりにくく、このバス停のようにビルの外壁に貼り付けられている所が多い。 |
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鍛冶橋通り 宝町駅交差点で昭和通りを渡る
交差点名はないが、都営浅草線宝町駅はこの交差点の地下にあり、交差点手前の右向いに信金中央金庫本店がある。 |
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鍛冶橋通り 弾正橋
高架は、首都高都心環状線である。 |
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鍛冶橋通り 桜橋交差点で平成通りを渡る
中央区のコミュニティバスである江戸バス(北循環)は、平成通りを走り、左から右に抜けて中央区役所に向かう。 |
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鍛冶橋通り 京華スクエア
京華スクエア先の交差点で左折、鈴らん通りに入ってすぐに「八丁堀の与力・同心組屋敷跡」の案内板がある。
鈴らん通りの先の交差点で新大橋通りを渡る。 |
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鈴らん通り 八丁堀の与力・同心組屋敷跡
交差点を左折してすぐの京華スクエアの外壁際に案内板がある。 |
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鈴らん通り 八丁堀の与力・同心組屋敷跡
江戸初期に埋め立てられた八丁堀の地は、はじめは寺町でした。寛永十二年(一六三五)に江戸城下の拡張計画が行われ、玉円寺だけを残して多くの寺は郊外に移転し、そこに与力・同心組屋敷の町が成立しました。その範囲は茅場町から八丁堀の一帯に集中しています。
八丁堀といえば捕物帖で有名な「八丁堀の旦那」と呼ばれた、江戸町奉行配下の与力・同心の町でした。与力は徳川家の直臣で、同心はその配下の侍衆です。着流に羽織姿で懐手、帯に差した十手の朱房もいきな庶民の味方として人々の信頼を得ていました。
初期には江戸町奉行板倉勝重の配下として与力一〇人、同心五〇人から始まつてのち、南北両町奉行が成立すると与力五〇人、同心二八〇人と増加し、両町奉行所に分かれて勤務していました。与力は知行二〇〇石、屋敷は三〇〇〜五〇〇坪、同心は三〇俵二人扶持で、一〇〇坪ほどの屋敷地でした。
これらの与力・同心たちが江戸の治安に活躍したのですが、生活費を得るため町民に屋敷地を貸す者も多く、与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や医者で歌人の井上文雄などの文化人や学者を輩出した町としても知られています。 |
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鍛冶橋通り 八丁堀駅交差点で新大橋通りを渡る
南北に東京メトロ日比谷線が走る新大橋通りがあり、東西に京葉線が走る鍛治屋橋通りが交差する。
交差点名はなく、日比谷線の八丁堀駅に乗り換えられる。 |
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JR 京葉線 八丁堀駅
交差点の四隅に出入口がある。 |