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府中街道 等々力緑地交差点
等々力緑地の正面入口から出て左折、府中街道を東進する。 |
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府中街道 川崎市公文書館
等々力緑地に隣接してある。 |
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府中街道 小杉十字路交差点で右折、中原街道へ
中原街道が府中街道と交わったこの場所は、明治時代後期から大正時代に特に賑わった。 |
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府中街道 小杉十字路交差点で右折、中原街道へ |
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中原街道 二ケ領用水と神地橋
稲毛領、川崎領を潤したニケ領用水の本流は、ここ神地橋で中原街道と交わる。
用水の恵みを受け、この辺りでとれた質の良い米は特に「稲毛米」と呼ぱれ、江戸の人々に喜ばれた。 |
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中原街道 二ケ領用水と神地橋 |
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中原街道 泉沢寺と門前市
室町末期、世田谷からここに泉沢寺を移した吉良氏は、税を免除して居住を促し、また門前市を開き、この地の繁栄を図った。夏の泉沢寺の市は冬の世田谷ボロ市と並び広く知られていた。 |
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中原街道 泉沢寺 日露戦役記念碑
「泉沢寺と門前市」の案内板の後ろにあり、碑そのものはあちこちで見かける日露戦役戦勝記念碑であるが、「希典書」としか書かれていない。
普通は陸軍大将とか、伯爵とかが付いた上で「乃木」も加える。それがない珍しい碑で、外した理由は分からない。
渋谷の金王八幡宮の明治三七、三八戦役記念碑も「希典書」である。 |
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中原街道 泉沢寺 |
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中原街道 泉沢寺 泉沢寺の文化財
当寺は、浄土宗に属しています。
当寺は、延徳三年(一四九一)武蔵国多摩郡烏山(現・東京都世田谷区)に吉良氏の菩提寺として創建されました。その後、天文十八年(一五四九)、堂宇がことごとく焼失したため、その翌年、世田谷領主吉良頼康が、現在の中原区上小田中に新しく建立しました。当寺には、中・近世からの歴史を物語る数多くの文化財が所蔵されており、次の文化財は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。
古文書では、当寺再興に関する吉良頼康関係の判物、北条氏政の禁制(虎の印判状)、徳川家康の代官神谷重勝の寺領朱印状下附に関する書状、徳川氏奉行人連署奉書があります。
仏像では、江戸城内にあった五代将軍徳川綱吉の霊廟に祀られていた木造・四天立像(広目天・多聞天・梵天・帝釈天)と、南北朝時代(十四世紀)制作の銅像・阿弥陀如来像が所蔵されています。 |
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中原街道 泉沢寺 |
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中原街道 上小田中交差点で右折、南武沿線道路へ |
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中原街道 上小田中交差点で右折、南武沿線道路へ
高架の右端に武蔵中原駅のホームが見える。 |
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南武沿線道路 武蔵中原駅前 川崎市中原会館
川崎市中原会館と言うよりもエポック中原と言われることが多い。 |
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JR 南武線 武蔵中原駅 |
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南武沿線道路 武蔵中原駅前 富士通中原工場 |
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南武沿線道路 又玄寺交差点
又玄寺(ゆうげんじ)は交差点を渡って左側にある。長く工事中だったが、右に抜ける道ができ、多摩川の西側沿いに走る多摩沿線道路に行ける。 |
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JR 南武線 武蔵新城駅 |
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南武沿線道路を北西に進む |
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南武沿線道路 第三京浜入口交差点
第三京浜の川崎インターは右手奥にあり、インターから降りてきた車は手前から出てくるが、乗るためには高架を過ぎて右折する。 |
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南武沿線道路 KSP
KSP(かながわサイエンス・パーク)は右後方にある。以前はよく見えたが、手前に大きなマンションが出来、分かりにくくなった。
以前歩いた時はこの巨大マンションの建設反対運動が盛んだったが、実際に見ると巨大な壁である。 |
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南武沿線道路 洗足学園
首都圏で新型インフルエンザの初患者が出たことで一躍有名になった。 |
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南武沿線道路 高津合同庁舎入口交差点
ノクティプラザ1、2に挟まれた道を進むと武蔵溝ノ口駅前のロータリーに出る。 |
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南武沿線道路 武蔵溝ノ口駅前ロータリー |
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JR 南武線 武蔵溝ノ口駅 |
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JR 南武線 武蔵溝ノ口駅 |