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JR 南武線 武蔵溝ノ口駅
【撮影記録】
平成21年 9月 1日 晴れ
10:10〜12:35 11,300歩(概算 9.4km)
南武線 武蔵溝ノ口〜久地〜登戸〜中野島〜稲田堤
営業距離 8.1km 駅数 7
前日の台風11号の後できれいに晴れたものの、やや蒸し暑かった。稲田堤に着いた時点では体力的にまだ歩けそうだったが、後2回分を1回で歩けるほどには距離を稼ぐ自信がなく、断念した。 |
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JR 武蔵溝ノ口駅 界隈案内図
江戸時代の山岳信仰は富士講が有名だが、伊勢原市の大山詣でも盛んだった。国道246号(厚木街道)は大山街道で、武蔵溝ノ口駅界隈はその遺構を保存している。界隈図の横線は南武線、黒い縦線は東急田園都市線で、その左の白い縦線は国道246号、中間の縦線は旧大山街道で、三軒茶屋を経て、渋谷に向かい、それぞれに遺構が残っている。 |
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東急 田園都市線 溝の口駅
溝の口駅の右脇にある階段を降り、南武沿線通りに出る。 |
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東急溝の口駅前交差点で左折、南武沿線道路へ
東急田園都市線の高架下を歩く。 |
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南武沿線道路 栄橋交差点で大山道を渡る |
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南武沿線道路 栄橋交差点で大山道を渡る |
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南武沿線道路 栄橋交差点 大山街道案内板
◆大山街道とは◆
江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれ、寛文九年(一六六九)、溝口村・二子村が宿として定められた。
江戸時代中期には庶民のブームとなった「大山詣」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として有名になった。
江戸後期には.駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えた。 |
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南武沿線道路 国道246号 津田山陸橋 |
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南武沿線道路 下作延交差点
右折すると津田山陸橋際で国道246号に接続する。 |
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南武沿線道路 津田山交番前交差点で左折
交差点の先に川崎市立葬祭場があり、石材店が建ち並ぶ。 |
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JR 南武線 津田山駅 |
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南武沿線道路 久地駅手前
南武沿線道路は南武線に沿って造られた道路であるが、ここから先は南北に離れていく。線路の先に久地駅の跨線橋が見える。 |
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南武沿線道路 久地駅前交差点で府中街道を渡る |
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南武沿線道路 久地駅前交差点で左折 |
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JR 南武線 久地駅 |
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南武沿線道路 二ヶ領用水に架かる鷹匠橋
久地駅前交差点を渡った所にあり、二ヶ領用水(新川)に架かる橋である。
二ヶ領用水は武蔵小杉から久地、稲田堤一帯にその遺構が見られる。二ヶ領とは稲毛領、川崎領の2ヶ所を意味する。 |
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南武沿線道路 二ヶ領用水に架かる鷹匠橋
江戸時代、川崎にも将軍家の御鷹場があり、この近くに鷹匠を泊める名主の家があった。そこには常に御鷹部屋という特別の部屋が設けられ、鷹や鷹匠は大変手厚くもてなされたという。 |
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南武沿線道路 東名高速の高架下を進む |
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南武沿線道路 多摩高校交差点で左折
南武沿線道路と南武線とはかなり離れており、交差点で斜め左上に進む。 |
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JR 南武線 宿河原駅
駅は跨線橋を渡って右手にある。 |
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跨線橋を降り、左斜め上に進む。
南武沿線道路から右手の道を歩いてきて、この地点から跨線橋を渡って宿河原駅に向かう。戻りは左斜め上に向かう。 |
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宿河原駅北側交差点で左折、南武沿線道路へ
左手には稲田中学校の校庭が見える。 |
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南武沿線道路 二ヶ領用水に架かる新船島橋 |
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南武沿線道路 宿河原一丁目交差点で多摩沿線道路と合流
南武沿線道路はここが終点である。 |
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多摩沿線道路 川崎市立多摩病院 |
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多摩沿線道路 川崎市立多摩病院
病院から小田急登戸駅が見える。 |
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JR 南武線 登戸駅
戦後のドヤ街の面影を色濃く残していた武蔵溝ノ口駅が再開発で一変した後、JRと小田急の登戸駅とが一体化して再開発された。かつては武蔵溝ノ口駅以上にごちゃごちゃした駅だった。 |
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小田急 小田原線 登戸駅
多摩沿線道路を跨ぐ形式の駅である。 |