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JR 南武線 武蔵溝ノ口駅
【撮影記録】
平成25年 6月 22日 晴れ 一時 曇り
9:15〜11:15 12,900歩 (概算 9.0km 地図上 9.1km)
南武線 武蔵溝ノ口駅〜登戸駅〜稲田堤駅
営業距離 8.1km 駅数 7
台風3号に続き4号が来たが、幸に南方にそれ、晴れたのであたふたと家を出た。途中で雲が厚くなり、雨が降るか、と思ったがやがて晴れてきた。
機能まで雨だったので蒸し暑いかと思ったが、そうでもなく、後1時間は楽に歩けたが、地図を用意しなかったので断念した。 |
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東急 田園都市線 溝の口駅
溝の口駅の右脇にある階段を降り、南武沿線通りに出る。 |
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東急溝の口駅前交差点で左折、南武沿線道路へ
東急田園都市線の高架下を歩く。 |
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南武沿線道路 栄橋交差点で大山道を渡る
大山道は県道14号鶴見溝ノ口線である。 |
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南武沿線道路 栄橋交差点で大山道を渡る
右折すると大山道で、江戸時代の大山詣で賑わった大山街道の遺構が続く。 |
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南武沿線道路 栄橋交差点 大山街道案内板
◆大山街道とは◆
江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれ、寛文九年(一六六九)、溝口村・二子村が宿として定められた。 江戸時代中期には庶民のブームとなった「大山詣」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として有名になった。 江戸後期には.駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えた |
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南武沿線道路 栄橋交差点 さかえ橋の親柱石
この角型で細長い石造物は欄干の親柱で、橋の名は字の通り「さかえはし」。
その名は平瀬川と根方掘(二ヶ領用水)が交差したこの場所にあった。ここが溝口村上宿と下作延村片町の境にあったことから「境橋」、あるいは古代から中世にかけ、このあたりに馬上からの検見(見積り)で税などが免除された田畑があったと伝えられていることから「馬上免橋」とも呼ばれてきた。
また、明治21年の溝口村の「地誌」には「栄橋」とある。これは溝口村と周辺の村々の繁栄を祈願して命名されたものであろう。その地誌には
栄橋
所在 字南耕地 幅 巾弐間
長 長四間 構造 木造
雑項 本橋ハ矢倉沢往還ニ属シ橘樹郡菅生村字長沢ヨリ発源ノ谷川ニ架設ス
とある。橋は、長さ四間(約七.二m)・幅二間(三.六m)の「木橋」であったので、この親柱が建った「石橋」は、それ以降に架けられたことになろう。
このたび溝口駅北口再開発事業の工事にともない、さかえ橋の親柱石の一本が掘り出されたので、それをここに保存・展示し、地域に伝わる貴重な歴史を後世に伝承することにした。 |
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南武沿線道路 栄橋交差点 さかえ橋の親柱石 |
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南武沿線道路 厚木街道(国道246号)に架かる津田山陸橋 |
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南武沿線道路 下作延交差点
右折すると津田山陸橋交差点で厚木街道(国道246号)に入ることができる。 |
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南武沿線道路 津田山交番前交差点で左折
左折するとすぐ先に踏切があり、その手前に津田山駅がある。
交差点の先に川崎市立葬祭場があり、石材店が建ち並ぶ。 |
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JR 南武線 津田山駅 |
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南武沿線道路 久地駅前交差点で左折、府中街道へ |
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南武沿線道路 久地駅前交差点で左折、府中街道へ |
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南武沿線道路 久地駅前交差点で左折、府中街道へ |
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JR 南武線 久地駅 |