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外堀通り お茶の水交差点 丸ノ内線 御茶ノ水駅 |
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外堀通り 聖橋下を歩く |
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外堀通り 聖橋下を歩く
神田川を挟んで北側に湯島「聖」堂があり、南側にニコライ「聖」堂があることから聖橋となった。 |
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外堀通り 聖橋下で神田川を渡る丸ノ内線
この風景を撮る人は多く、特に聖橋から湯島聖堂を含めて撮る人が多い。写真は池袋行きであるが、荻窪行きも合わせると頻繁に神田川を渡るので、待ち時間は少ない。 |
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外堀通り 湯島聖堂の塀沿いに相生坂(昌平坂)を下る
神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。 『東京案内』に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛成中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れりり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
昌平とは聖堂に祀られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。 |
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外堀通り 湯島聖堂 仰高門(正門)
湯島聖堂は聖橋の北詰めまでの丘にそって孔子像や色々な建物があり、一番高い所に大成殿(孔子廟)がある。
寛永九年(一六三二)、尾張藩主徳川義直 林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄三年(一六九〇)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政十一年(一七九九)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、旧に復せり。 建造物は暫く東京博物館の一部に充てたりしが、大正十二年(一九二三)九月一日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和十年(一九三五)四月四日鐡筋混凝立構造に依りて原型に復せり。 |
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外堀通り 昌平橋交差点で直進、総武線の線路沿いに東進
鉄橋は総武線の鉄橋で、下に神田川に架かる昌平橋がある。
昌平橋交差点は大きくは4差路であるが、総武線の線路沿いを含めると5差路になる。外堀通りは交差点で右折し、神田明神を経て左から来た国道17号は交差点で左折して外堀通りから見ると直進する。 |
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総武線 線路沿いを東進 |
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総武線 線路沿い 閉店されたエディオン秋葉原本店(旧石丸電気本店)
平素はエディオン秋葉原本店に格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
当店は、平成7年11月のグランドオープン以来、皆様にご愛顧、お引き立ていただいて参りましたが、誠に勝手ながら、3月20日(祝)をもちまして閉店する運びとなりました。
永年に亘る皆様のご愛顧に対し、社員一同、厚くお礼申し上げます。
中国資本に買収されたラオックス、エディオンに吸収された石丸電気、一世を風靡したがビックカメラに救済されたソフマップと秋葉原の零落が続く。 |
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突き当りで中央通りを渡る |
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JR 秋葉原駅(電気街口) 駅前 アトレ秋葉原1
かつて古色蒼然としていた秋葉原デパートは解体され、アトレ秋葉原1としてオープンしている。 |
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JR 秋葉原駅(電気街口) 駅前 秋葉原ダイビル、秋葉原UDX、富士ソフトビル、秋葉原センタープレイスビル
左手前が秋葉原ダイビルで、奥が秋葉原UDXである。中央が富士ソフトビル、右が秋葉原センタープレイスビルで山手線を越えた線路沿いにある。 |
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JR 総武線 秋葉原駅 |