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浅草橋駅〜京葉道路〜両国駅

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江戸通り 浅草橋 人形店街 原孝洲 江戸通り 浅草橋 人形店街 原孝洲 

浅草橋北詰にある。
江戸通り 神田川に架かる浅草橋を渡る 江戸通り 神田川に架かる浅草橋を渡る 

下流には隅田川へ注ぐ河口手前の柳橋が見える。
 江戸通り 浅草橋交差点で左折、京葉道路へ 江戸通り 浅草橋交差点で左折、京葉道路へ 

浅草橋交差点で、靖国通りは京葉道路と改称する。
京葉道路 両国橋西交差点で左折、柳橋通りへ 京葉道路 両国橋西交差点で左折、柳橋通りへ 

左手に旧跡両国広小路の碑があり、その先の白いビルの手前横を左折、柳橋通りに入ってすぐに柳橋がある。交差点の右手には、神田明神の神幸祭で昼食休憩が行われる両国旧仮置屋の川崎大師東京別院の薬研堀不動院がある。
京葉道路 両国橋西交差点 旧跡両国広小路の碑 京葉道路 両国橋西交差点 旧跡両国広小路の碑 

明暦の大火(1657年)は江戸の市街の大半を焼失し10万余の死者を出した。その際このあたりで逃げ場を失って焼死するものが多数出た。このため対岸への避難の便を図り両国橋が架けられた。隅田川は当時武蔵下総両国の境をなしていた。また延焼防止のため橋に向う沿道一帯を火除け地に指定し空き地とした。やがてこれが広小路となり、江戸三大広小路の一つとして上野浅草に並び称せられる盛り場に発展した。明治維新のころここには新柳町元柳町横山町吉川町米沢町薬研堀町若松町があったが、昭和7年合併して日本橋両国となり現在に及んだ。維新後百年を経た今日、まちの近代化はめざましく、広小路や両国の名も過去のものとして忘れ去られようとしているが、300年前火除け地が設定され、これが広小路に発展して行った事跡のなかには、先人の英知と努力が偲ばれてまことに意義深いものがある。ここに由緒ある両国広小路の旧跡を永く保存するため、町会の総意により、この碑を建てた。
京葉道路 両国橋西交差点 旧跡両国広小路の碑 京葉道路 両国橋西交差点 旧跡両国広小路の碑 
柳橋通り 神田川に架かる柳橋 柳橋通り 神田川に架かる柳橋 
柳橋通り 柳橋から見た隅田川河口 柳橋通り 柳橋から見た隅田川河口 
柳橋通り 柳橋の欄干に飾られた簪(かんざし) 柳橋通り 柳橋の欄干に飾られた簪(かんざし) 

粋筋の街柳橋に相応しく、欄干には赤と青の簪が飾られている。
柳橋通り 神田川に架かる柳橋 柳橋通り 神田川に架かる柳橋 

 柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。その起源は江戸時代の中頃で、当時は、下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往き来していましたが、不便なので元禄十年(一六九七)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌十一年に完成しました。
 その頃の柳橋辺りは隅田川の船遊び客の船宿が多く”柳橋川へ蒲団をほうり込み”と川柳に見られる様な賑わいぶりでした。
 明治二十年(一八八七)に鋼鉄橋になり、その柳橋は大正十二年(一九二三)の関東大震災で落ちてしまいました。復興局は支流河口部の第一橋梁には船頭の帰港の便を考えて各々デザインを変化させる工夫をしています。柳橋はドイツ・ライン河の橋を参考にした永代橋のデザインを採り入れ、昭和四年(一九二九)に完成しました。
 完成から七十余年、現在区内では復興橋梁も少なくなり、
柳橋は貴重な近代の土木遺産として平成三年に整備し、同十
一年に区民有形文化財に登録されています。
柳橋通り 神田川に架かる柳橋 柳橋通り 神田川に架かる柳橋 

 柳橋の下を流れる神田川は、三鷹市井之頭池を水源とし、都心部を流れて隅田川へと注ぐ全長約25kmの都市河川です。
 この位置に初めて橋が架かったのは、元禄十一年(1698)のことで、「川口出口之橋」あるいは近くに幕府の矢の倉があったことから「矢の倉橋」と呼ばれていました。
 「柳橋」の由来については、
 (1)矢の倉橋が矢之城(やのき)橋になり、さらに柳橋となる。
 (2)柳原堤の末にあったことに由来する。
 (3)橋の袂に柳の樹があったことに由来する。
このように諸説ありますが、真説は不明です。
 明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表するような場所になり、新橋は各藩から出て政府の役人になった人々、柳橋は江戸以来の商人や昔の旗本といった人々が集まる場所であったようです。
 区では平成3年度に、優美な形をしたこの橋を後世に伝えるため、傷んだ親柱を復元し、欄干は花街に因んで「かんざし」を飾り、歩道には御影石を貼って再生しました。また、夕暮れより照明の演出をして、神田川河口に架かる「柳橋」の存在感をもたせました。
京葉道路 隅田川に架かる両国橋 京葉道路 隅田川に架かる両国橋 
京葉道路 両国橋 上流に見える東京スカイツリー 京葉道路 両国橋 上流に見える東京スカイツリー 
 京葉道路 両国橋に向かう水上バス ヒミコ 京葉道路 両国橋に向かう水上バス ヒミコ 

漫画家の松本零士が宇宙船をイメージしてデザインした水上バスである。
京葉道路 両国橋東詰 表忠碑 京葉道路 両国橋東詰 表忠碑 

日露戦争時の満州軍総司令官である大山巌元帥の書である。あたりは長らく公園整備で高い壁に囲まれていた。
京葉道路 両国橋東詰 もゝんじや 京葉道路 両国橋東詰 もゝんじや 

「もゝんじや」は江戸時代の享保3年(1718年)創業の老舗で、車の陰で見えないが、イノシシの逆さ吊りが店頭に飾られている。
京葉道路 両国二丁目交差点で左折、国技館通りへ 京葉道路 両国二丁目交差点で左折、国技館通りへ 

この交差点は三叉路で、道路標識の後ろにある右手の緑のタワーや、その横のビルは旧国技館の両国シティコアで、右端の黒い屋根は両国回向院である。
国技館通り 両国駅前 ちゃんこ鍋 霧島 国技館通り 両国駅前 ちゃんこ鍋 霧島 

名関脇鶴ヶ嶺を師匠とする井筒部屋の大関だった霧島の店で、両国本店である。両国駅西口の総武線ガード際にあり、目立つ店である。
国技館通り 両国駅 西口 国技館通り 両国駅 西口 

後方に国技館の大屋根が見える。
JR 総武線 両国駅 JR 総武線 両国駅 



 
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