|
船橋市道 中野木交差点で直進、成田街道(国道296号)へ
東船橋駅から東船橋駅入口交差点に戻り左折、市道を東進する。 |
|
船橋市道 中野木交差点で直進、成田街道(国道296号)へ
成田街道(県道296号)は右(南)からこの交差点に入り、直角に右折して東進する。 |
|
船橋市道 中野木交差点で直進、成田街道(国道296号)へ |
|
成田街道(国道296号) 成田街道入口交差点で直進、東金街道(県道69号)へ |
|
成田街道(国道296号) 成田街道入口交差点で直進、東金街道(県道69号)へ
県道69号の通称は東金街道だが、千葉県の道路愛称既定によれば東金市内の限られた区間だけである。 |
|
東金街道(県道69号) 成田街道入口交差点 成田山道標
明治12年(1879)に成田山の信徒と地元前原の有志が建てた成田山道標である。 |
|
東金街道(県道69号) 成田街道入口交差点 |
|
東金街道(県道69号) 成田街道入口交差点
御成街適(東金街道)について
御成街適(東金街道)は、慶長十八年(一六一三)十二月徳川家康の命を受けた佐倉藩主土井利勝が三日三晩で造成したと伝えられています。
家康の東金への鷹狩等のために作られたとも言われ、船橋から東金までほぼ直線で結ばれています。徳川家康・秀忠・家光が御成街道を通り東金周辺で鷹狩等を催しました。将軍や大御所がお通りになる=お成りになると言うのでお成り街道と呼ばれたといいます。
(前原西一丁目)は御成街道と東金街道との分岐点です。明治十二年(一八七九)に成田山の信徒と地元前原の有志が建てた道標があり、全面には「左成田山道」と刻まれています。また、右側面は「成田山従是房総街道」(御成街道を房総街道としています。)左側面には「成田山道」と刻まれています。
江戸時代、主要な街道などには、一里ごとに一里塚をおいて松などの木を植え旅人の目印としていましたが、船橋を過ぎると一里塚は次の様におかれていました。
@ 一里塚 習志野市実籾
A 向山 千葉市花見川区犢橋
B 焼坂 千葉市若葉区若松町
C 提灯塚 千葉市若葉区千城台東
D 椎の古木 千葉市若葉区豊田町
E 一里塚 八街市上砂
F 殿山 東金市黒田
一里塚 東金市油井
|
|
東金街道(県道69号) 総武線線路下をくぐり抜ける |
|
東金街道(県道69号) 津田沼十字路交差点で右折、県道津田沼停車場前原線(135号)へ |
|
東金街道(県道69号) 津田沼十字路交差点で右折、県道津田沼停車場前原線(135号)へ |
|
県道津田沼停車場前原線(135号) 津田沼駅前ロータリー |
|
JR 総武線 津田沼駅 |