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建長寺 天下門
建長寺は巨福呂山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位とされる臨済宗建長寺派の大本山です。今から約750年前の建長5年(1253)に後深草天皇の勅命で鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227~63)が建立したわが国最初の禅寺です。 建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(1213-78)は、中国の高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)33歳の時に来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅風をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導しました。 |
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建長寺 境内図 |
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建長寺 総門
建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいています。今の総門は、江戸時代、天明三年(一七八三)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和十五年に移築しました。 額「巨福山」(大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆です。 |
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建長寺 総門 |
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建長寺 三門
三解脱門の略。空・無相・無作を表しこの三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味します。 開山様の言葉に「福山は揮で松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、建長寺はあらゆる人々(修行者)に門を開放していることを表しています。
楼上には、五百羅漢(修行を完成された人)を安置しています。
この建物は江戸時代・安永四年(一七七五)に万拙碩誼和尚などの努力によって再建されました。創建当初は三門後方左右に大坐禅堂、大食堂がありました。 |
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建長寺 三門 |
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建長寺 梵鐘
この鐘は、北条時頼公の発願により広く施主をつのり、開山大覚禅師(蘭渓道隆)の銘文、関東鋳物師の筆頭である物部重光によって建長七年(一二五五)に鋳造されました。銘文の中に、「建長禅寺」とあります。 |
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建長寺 梵鐘 |
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建長寺 仏殿
建長寺の本尊・地蔵菩薩を安置。北條時頼公と開山大覚禅師(蘭渓道隆)の衆生済度の願いが込められています。 現在の建物は、創建当初より四代目のものといい、東京・芝・増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公夫人(お江の方、家光の母)の霊屋を建長寺が譲り受けました。 |
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建長寺 仏殿 |
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建長寺 法堂
仏殿の後ろに軒を接して建てられている。
「はっとう」と呼びます。昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。
この建物は、江戸時代・文化十一年(一八一四)に再建されたものです。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。 |
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建長寺 法堂 |
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建長寺 唐門
唐門は屋根が唐破風になっている門のこと、中国式の門の意味でではありません。 方丈の正門で、勅使門ともいいます。
仏殿と同じく東京・芝・増上寺より正保四年(一六七四)に移築されました。 |
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建長寺 方丈(龍王殿)
本来は住持が居住する場所。現在は法要・座禅・研修の場所として使われています。 この建物も、総門と同じく京都・般舟三昧院より昭和十五年に移築しました。建物は享保十七年(一七三二)の建立です。 |
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建長寺 方丈(龍王殿) |
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建長寺 方丈(龍王殿)
方丈の前に修理中の唐門がある。 |
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建長寺 方丈(龍王殿) |
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建長寺 方丈庭園 |
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建長寺 方丈庭園
蘸碧(さんぺき)池を中心とする庭園は開山大覚禅師(蘭渓道隆)の作庭。創建当時よりあります。寺院の池は寺の前にあるのが普通ですが、建長寺は最奥に位置します。 蘸碧池とは、緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表しています。 |