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江ノ電の線路沿いに南西に歩く。
道なりに踏切を渡り、西側を歩く。 |
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江ノ電の踏切手前で線路沿いに進む
右手奥に稲村ヶ崎駅が望見出来る。 |
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江ノ島電鉄(江ノ電) 稲村ヶ崎駅
江ノ電は単線のため、上り、下りの電車が行き違うための設備が必要で、稲村ヶ崎駅はその設備がある。 |
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江ノ島電鉄(江ノ電) 稲村ヶ崎駅
踏切を渡り南下する。 |
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突き当りで左折 |
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稲村ヶ崎駅入口交差点に出て右折、国道134号線へ
天気は悪化し、雨は降らないもののどんよりとした曇り空となって、まるで冬の光景である。 |
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稲村ヶ崎駅入口交差点から見た稲村ヶ崎公園
稲村ヶ崎公園には新田義貞徒渉伝説地の碑があり、新田義貞が鎌倉攻めの時、太刀を投じて海神に祈ったところ海が引いて道が出来た、との故事による。
これに先立ち、分倍河原の合戦で幕府軍を破った新田義貞は、その時焼失した国分寺の薬師堂を寄進した。 |
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稲村ヶ崎駅入口交差点から見た江ノ島遠景
冬の晴れた日には空気が澄み、遠く富士山がきれいに見える。 |
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国道134号線 西田幾多郎博士記念歌碑 |
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国道134号線 西田幾多郎博士記念歌碑
「七里濱 タ日漂ふ波の上に
伊豆の山々果し知らずも」
明治四十四(一九一一)年「善の研究」公刊後、現代哲学を代表する西田哲学を樹立した西田幾多郎博士は、明治三(一八七〇)年石川県河北郡宇ノ気村に生まれ、学習院、京都大学を歴任後、昭和八(一九三三)年当地を見下ろす稲村ガ崎に仮寓をもとめ昭和二十(一九四五)年六月七日に、ここで没するまでの十二年間余を主に夏と冬を過ごした。
当記念歌碑は、昭和二十六(一九五一)年に博士の偉業を記念するために、博士の同郷の友人鈴木大拙博士や門下生らの発起により、多くの知識人や芸術家などの賛同を得て建設された。 |
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国道134号線 西田幾多郎博士記念歌碑 |
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国道134号線 行合橋交差点で右折 |
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江ノ島電鉄(江ノ電) 七里ヶ浜駅
サーファーの名所七里ヶ浜の駅らしく、ウインドサーフィンの帆が飾られている。 |
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国道134号線 湘南らしいレストランが続く
湘南海岸を見ながら食事をするのが売り物で、夏には多くのサーファーや海水浴客で賑わう。 |
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国道134号線 鎌倉高校駅前交差点で右折
鎌倉高校駅は江ノ電の線路の奥に見える。 |
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江ノ島電鉄(江ノ電) 鎌倉高校前駅 |
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国道134号線 鎌倉高校前駅から見える江ノ島
どんよりとした空模様にせっかくの湘南海岸、江ノ島風景も様にならない。 |
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江ノ島電鉄(江ノ電) 鎌倉j高校前駅
国道134号線を車で走ると、湘南海岸沿いの江ノ電の風景として有名な駅である。 |