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南千住駅前 荒川区コミュニティバス さくら |
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吉野通り 荒川区コミュニティバス さくら
吉野通りに出て北に向かう商店街の中に設けれている。
荒川区のコミュニティバスは3ルート運行されている。 |
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吉野通り 南千住交差点で右折、日光街道へ
吉野通りの突き当りの向かい側に素盞雄(すさのお)神社がある。 |
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日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 |
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日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社
石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基づく縁起を有する。延暦十四年(七九五)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。 |
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日光街道 千住大橋
隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。現在の橋は昭和2年架橋の大橋と、昭和47年完成の二重橋構造で、大橋から上流は荒川、下流は隅田川となる。 |
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日光街道 千住大橋 八紘一宇の碑
南詰にあり、今時千住大橋のような賑やかな場所に「八紘一宇」の碑が残っているのは珍しい。
首相にもなった陸軍大将林銑十郎の揮毫である。 |
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日光街道 千住大橋の由来
当初はただ大橋と呼ばれていたが、下流に大橋が作られたことから千住大橋と呼ばれるようになった。奥羽、日光、水戸街道の要地を占め、東北への唯一の大橋であった。 |
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日光街道 千住大橋 松尾芭蕉 矢立初めの地
北詰に松尾芭蕉の矢立初めの句が残されている。
「行く春や 鳥啼き 魚の 目に泪」 |
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日光街道 足立市場入口交差点
旧日光街道千住宿は右折する。 |
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日光街道 足立市場入口交差点
この交差点から旧日光街道千住宿が始まる。 |
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旧日光街道 足立市場入口交差点 奥の細道プチテラス
千住が奥の細道への旅立ちの地であり、矢立初めの句が残されている。
「行く春や 鳥啼き 魚の 目に泪」 |
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旧日光街道 足立市場入口交差点 奥の細道プチテラス |
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旧日光街道 千住宿
千住仲町交差点までこのような案内板が随所に設けられている。
やっちゃ場とは、多くの問屋のせり声がやっちゃやっちゃと聞こえてくる場所(市場)から来たと言われる。 |
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旧日光街道 千住宿
このような案内板は以前ここにあった、という意味で設けられており、必ずしも現存しているわけではない。 |
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旧日光街道 千住宿 千住仲町交差点で墨堤通りを渡る |
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旧日光街道 東京芸術センター前交差点
交差点を過ぎると本町センター通りで、左に東京芸術センターがある。 |
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旧日光街道 東京芸術センター前交差点
一里塚跡の碑があるが、説明などの表示はまるでない。 |
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旧日光街道 本町センター通り |
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旧日光街道 本町センター通り 北千住2丁目交差点で右折、北千住駅へ
この交差点を過ぎ、宿場町通りの赤い横断幕のある所の左に本陣跡の案内板がある。 |
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北千住駅 ルミネ |
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つくばエクスプレス線 北千住駅
北側からJR、つくばエクスプレス、東武の千住駅が続く。東武線の構内では日比谷線と、千代田線と接続する。 |