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万歩計



(From H14-10-28)

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掲示板(一言どうぞ)


京急川崎〜旧東海道 川崎宿〜川崎競馬場

【関連サイト】   京急 大師線H1607
歴史点描 旧東海道 川崎宿散策(六郷の渡し〜京急川崎〜八丁畷)


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京急 大師線 始発 京急川崎駅 京急 大師線 始発 京急川崎駅 

大師線は京急川崎駅を始発とし、川崎大師、産業道路を経て小島新田を終点とする。
7月17日から21日まで、川崎大師で夏の風物詩である風鈴市が行われている。5年前はそれほどでもなく、じっくり見物できたが、知られるにつれ、大勢の観光客が集まり、よく見ることができなかった。
駅数 7、営業距離 4.5km

【撮影記録】
平成21年 7月 18日 曇り
10:55〜12:40 9,200歩(概算 7.4km)
大師線 京急川崎〜川崎大師〜小島新田
営業距離 4.5km 駅数 7

時折吹く風は涼しいが、蒸し暑さは激しく、川崎大師の風鈴市は人出の多さもあって、汗を拭きながら見物する人が多く、麦茶サービスが賑わっていた。
京急 大師線 始発 京急川崎駅 京急 大師線 始発 京急川崎駅 

右奥に大師線が見える。
京急川崎駅前通りを東進 京急川崎駅前通りを東進 
砂子一丁目交差点で左折、旧東海道 川崎宿へ 砂子一丁目交差点で左折、旧東海道 川崎宿へ 

右折すると、市役所通りを経て京急八丁畷駅まで川崎宿が続く。
旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 

旧東海道を日本橋から戸塚まで歩いたが、宿場町としての案内が充実しているのは品川宿、川崎宿、保土ヶ谷宿である。中でも川崎宿が一番すぐれている。
旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 

このような歴史ガイドが大師道にも設けられている。

「中の本陣」

この付近にあった惣兵衛本陣は、佐藤・田中本陣の間にあることから、「中の本陣」と呼ばれたが、江戸後期には廃業した。
旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 

 旧東海道川崎宿には、大名や公家などが宿泊する本陣、宿駅の業務を司る問屋場、近村より徴発した人馬が集まる助郷会所、高札場や火之番所などの公的施設をはじめ、旅籠や商家など三五〇軒程の建物が約一四○○メートルの長さにわたって軒を並べ、賑わいを見せていた。
  古文書や絵図から宿の町並みを探ってみると、旅龍は約七〇軒を数え、油屋・煙草屋・小間物屋・酒屋などが店を広げる一方、大工・鍛治屋・桶屋ほか多くの職人や農民も居住しており、活気にみちた都市的景観を認めることができる。
 もともと、川崎宿のあたりは砂浜の低地で、多摩川の氾濫時には、冠水の被害に見舞われる地域であった。そのため、旧東海道は砂州の微高地上を通るよう配慮がなされ、さらに川崎宿の設置に当たっては、宿域に盛土が施されたという。
 現在でも砂子から小土呂あたりを歩いて見ると、旧街道筋が周囲よりも幾分高いことが良くわかる。
 川崎宿は、慶安・元禄年間の大地震や宝暦一一(一七六一)年の大火など度重なる災害に見舞われ、明治維新以降も関東大震災や空襲などで、往時の景観は全く失われてしまった。
 しかし、大きな変貌を遂げてきた今日の町並みの中に、宿の成立にかかわる地形や寺院の配置など、川崎宿のおもかげを見ることができる。
旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 
旧東海道 川崎宿 旧東海道 川崎宿 

道路沿いに川崎宿の遺構などの説明や、地理案内が設けられている。
旧東海道 川崎宿 本町一丁目交差点 旧東海道 川崎宿 本町一丁目交差点 
旧東海道 川崎宿 本町交差点で右折、大師道へ 旧東海道 川崎宿 本町交差点で右折、大師道へ 

直進すると六郷橋を渡り、旧東海道の六郷の渡しに出る。
大師道 競馬場前交差点で第三京浜を渡る 大師道 競馬場前交差点で第三京浜を渡る 
大師道 川崎競馬場 大師道 川崎競馬場 
大師道 川崎競馬場 大師道 川崎競馬場 

川崎競馬場は地方競馬場で、翌々週の27日(月)〜29日(水)まで開催される予定である。



 
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