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京急 大師線 始発 京急川崎駅
大師線は京急川崎駅を始発とし、川崎大師、産業道路を経て小島新田を終点とする。
7月17日から21日まで、川崎大師で夏の風物詩である風鈴市が行われている。5年前はそれほどでもなく、じっくり見物できたが、知られるにつれ、大勢の観光客が集まり、よく見ることができなかった。
駅数 7、営業距離 4.5km
【撮影記録】
平成21年 7月 18日 曇り
10:55〜12:40 9,200歩(概算 7.4km)
大師線 京急川崎〜川崎大師〜小島新田
営業距離 4.5km 駅数 7
時折吹く風は涼しいが、蒸し暑さは激しく、川崎大師の風鈴市は人出の多さもあって、汗を拭きながら見物する人が多く、麦茶サービスが賑わっていた。 |
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京急 大師線 始発 京急川崎駅
右奥に大師線が見える。 |
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京急川崎駅前通りを東進 |
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砂子一丁目交差点で左折、旧東海道 川崎宿へ
右折すると、市役所通りを経て京急八丁畷駅まで川崎宿が続く。 |
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旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点
旧東海道を日本橋から戸塚まで歩いたが、宿場町としての案内が充実しているのは品川宿、川崎宿、保土ヶ谷宿である。中でも川崎宿が一番すぐれている。 |
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旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点
このような歴史ガイドが大師道にも設けられている。
「中の本陣」
この付近にあった惣兵衛本陣は、佐藤・田中本陣の間にあることから、「中の本陣」と呼ばれたが、江戸後期には廃業した。 |
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旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点
旧東海道川崎宿には、大名や公家などが宿泊する本陣、宿駅の業務を司る問屋場、近村より徴発した人馬が集まる助郷会所、高札場や火之番所などの公的施設をはじめ、旅籠や商家など三五〇軒程の建物が約一四○○メートルの長さにわたって軒を並べ、賑わいを見せていた。
古文書や絵図から宿の町並みを探ってみると、旅龍は約七〇軒を数え、油屋・煙草屋・小間物屋・酒屋などが店を広げる一方、大工・鍛治屋・桶屋ほか多くの職人や農民も居住しており、活気にみちた都市的景観を認めることができる。
もともと、川崎宿のあたりは砂浜の低地で、多摩川の氾濫時には、冠水の被害に見舞われる地域であった。そのため、旧東海道は砂州の微高地上を通るよう配慮がなされ、さらに川崎宿の設置に当たっては、宿域に盛土が施されたという。
現在でも砂子から小土呂あたりを歩いて見ると、旧街道筋が周囲よりも幾分高いことが良くわかる。
川崎宿は、慶安・元禄年間の大地震や宝暦一一(一七六一)年の大火など度重なる災害に見舞われ、明治維新以降も関東大震災や空襲などで、往時の景観は全く失われてしまった。
しかし、大きな変貌を遂げてきた今日の町並みの中に、宿の成立にかかわる地形や寺院の配置など、川崎宿のおもかげを見ることができる。 |
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旧東海道 川崎宿 砂子一丁目交差点 |
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旧東海道 川崎宿
道路沿いに川崎宿の遺構などの説明や、地理案内が設けられている。 |
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旧東海道 川崎宿 本町一丁目交差点 |
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旧東海道 川崎宿 本町交差点で右折、大師道へ
直進すると六郷橋を渡り、旧東海道の六郷の渡しに出る。 |
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大師道 競馬場前交差点で第三京浜を渡る |
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大師道 川崎競馬場 |
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大師道 川崎競馬場
川崎競馬場は地方競馬場で、翌々週の27日(月)〜29日(水)まで開催される予定である。 |