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池袋第二小学校手前の角で右折、北池袋商店街を北上
北池袋駅から戻り、最初の交差点で右折する。その次の交差点角には池袋第二小学校がある。 |
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北池袋商店街を北上、二つ目の角で左折
道なりに右に進みそうだが、左折する。 |
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住宅街を歩き、文成小学校前を西進 |
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住宅街を歩き、文成小学校前を西進 |
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文成小学校角を右折
信号はなく、文成小学校の角で曲がる。 |
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下板橋駅前商店街(池袋本町通り)を北上 |
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東武 東上線 下板橋駅 |
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東上線沿いに歩く
奥に東武総合商品センターが見える。 |
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下板橋駅前 東上鉄道記念碑 |
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下板橋駅前 東上鉄道記念碑
この記念碑は、明治三十六年(一九〇三)に創立申請された東上鉄道株式会社の由来と、建設にいたる経緯が記された石碑であり、大正八年(一九一九)五月に上板橋駅に建てられました。
東上鉄道は、当時の小石川区下富坂町(文京区)を基点として、巣鴨町ー上板橋村−川越町−児玉町−高崎市を経由し、渋川町(群馬県渋川市)に至る路線が計画されていました。発起人総代は干家尊賀ですが、その実現のために尽力したのは、板橋区で醤油醸造業を営んでいた内田三左衛門でした。 碑文には内田が「東奔西走同志ヲ勧説」し、「千辛万苦百難ヲ排」し、開業に導いたという経過が刻まれており、その功績を顕彰する内容となっています。
東上鉄道は、東武鉄道社長根津嘉一郎の参画により、大正三年に池袋−田面沢間が開通し、同九年に東武鉄道に合併して東武東上線となりました。
その後、この石碑は、上板橋駅から東上線池袋駅に移されますが、駅周辺の開発に伴い移転を重ね、現在に至っています。
平成十七年度に板橋区登録記念物となリました。 |
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突き当りを右折 |
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次の信号で左折 |
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首都高5号池袋線、明治通りの高架下を西進 |
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大山東町交差点を過ぎる
左側には時折東上線の線路や踏切が見える。 |
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大山駅のホーム沿いに右に曲がる |
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東武 東上線 大山駅 |