万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次   東急 池上線H2603 目次  池上本門寺、満開の池上梅園散策H260304 目次  久が原駅〜雪が谷大塚駅〜石川台駅 池上本門寺(大堂(祖師堂)〜大坊本行寺〜實相寺)  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


池上本門寺(此経難持坂〜五重塔〜仁王門)

【関連サイト】   東急 池上線H2101
梅の花の香りと馬込の文士を訪ねて(H19−02−24)(池上本門寺)


 直前のページに戻ります。

写真の一覧表へ 

池上本門寺 総門 池上本門寺 総門 

総門をくぐると急坂の此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか)が見える。

右の白い建物は日蓮宗宗務所である。
池上本門寺 総門 池上本門寺 総門 

大田区文化財 総門と扁額

 総門は、本門寺山内に現存する古い建築物の一つである。広重の「江戸百景」などにも描かれ著名。

 総門は、本門寺山内に現存する古い建築物の一つである。広重の「江戸百景」などにも描かれ著名。建造年代は、元禄年間(一六八八〜一七〇三)といわれ、高さ六.四メートル、主柱間五.三九メートルあり、総欅素木造りで、簡素、かつ壮大な構えをしている。
 
 扁額の文字は本阿弥光悦(一五五八〜一六三七)の書を彫刻したものである。
 額は複製され、実物は寺宝として寺内に保管されている。名筆家である光悦の、堂々たる書風を示す屈指の作品である。
 池上本門寺 総門 本阿弥光悦揮毫の扁額(複製) 池上本門寺 総門 本阿弥光悦揮毫の扁額(複製) 
池上本門寺 境内案内図 池上本門寺 境内案内図 

現在地は中央下で、そのまま上に上り、此経難持坂を経て仁王門、大堂に至る。
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 

大田区文化財 池上本門寺の石段

 この石段は、加藤清正(一五六二〜一六一一)の寄進によって造営されたと伝えられ「法華経」宝塔品の偈文九六字にちなみ、九六段に構築され、別称を「此経難持坂」という。
 なお、元禄の頃(一六八八〜一七〇三)に改修されているが、造営当時の祖型を残しており、貴重な石造遺構である。
 清正は慶応十一年(一六〇六)に祖師堂を寄進建立し、寺域を整備しているので、この石段もその頃の所産と思われる。

右の白いジグザクの階段は女坂で、上ると比経難持坂(しきょうなんじざか)脇にある日蓮大聖人説法像前に出る。
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 

 この石段坂は、慶長年間(一五九六〜一六一五)加藤清正の寄進によるものと伝えられる。「法華経」宝塔品の詩句九十六文字にちなんで石段を九十六段とし、詩句の文頭の文字「比経難持」をとって坂名とした。なお石段は元禄年間(一六八八〜一七〇四)に改修されたといわれる。
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 満開の河津桜 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 満開の河津桜 

桜にしては早いし、桃にしては色が薄いと寄って見たら河津桜との札があった。
池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 満開の河津桜 池上本門寺 此経難持坂(男坂 しきょうなんじざか) 満開の河津桜 
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 

此経難持坂を上ると正面に仁王門が見える。坂を上った所の脇の広場には日蓮大聖人説法像があり、仁王門との間の道を曲がると五重塔に向かう。
池上本門寺 此経難持坂脇広場 池上本門寺 此経難持坂脇広場 

広場周辺から仁王門にかけて関東大震災供養碑大田区戦没者慰霊塔日露戦役忠魂之碑などが並ぶ。
池上本門寺 此経難持坂脇広場 日蓮大聖人説法像 池上本門寺 此経難持坂脇広場 日蓮大聖人説法像 

日蓮大聖人説法像 星亨銅像跡

 この像は宗祖第七百遠忌記念として昭和五十八年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので斯界の 権威北村西望先生の作品です。(像の材質は純アルミ、高さ三.四米、重量一瓲)

 もとここには明治の政治家星亨先生の銅像がありましたが、今般星家の御協力により台座を奉納頂きこの像を建立しました。
池上本門寺 此経難持坂脇広場 日蓮大聖人説法像 池上本門寺 此経難持坂脇広場 日蓮大聖人説法像 
xd2115 池上本門寺 本門寺墓地を歩く 

此経難持坂脇広場から五重塔に向かう。
池上本門寺 五重塔 池上本門寺 五重塔 

文禄2年(1593)、将軍になる前の徳川秀忠が重篤な病にかかり、その病気平癒のため熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が大奥より池上へ日参。その甲斐あって快癒し、徳川2代将軍となった後、そのお礼と武運長久を祈り、慶長13年(1608)に建立された。
初層のみが和様、二層以上を唐様とする、上層への逓減率が少ない、相輪長が短い、心柱が初層天井の梁上に立つ、など建築としての特徴も独特で、貴重な塔建築である。
池上本門寺 五重塔から力道山の墓所を見るため、墓地を北上 池上本門寺 五重塔から力道山の墓所を見るため、墓地を北上 
池上本門寺 五重塔 池上本門寺 五重塔 
池上本門寺 本門寺墓地 案内に従い力道山墓所へ 池上本門寺 本門寺墓地 案内に従い力道山墓所へ 

手前の五重塔の先に力道山墓所への案内が立っており、それに従って左に向かう。
池上本門寺 本門寺墓地 案内に従い力道山墓所へ 池上本門寺 本門寺墓地 案内に従い力道山墓所へ 

突き当りを左に向かって進むと力道山の墓所が見えてくる。しかし、五重塔からかなり遠く、所々に案内があるから行けるものの、道は大丈夫か、迷っていないかと思うこともある。
池上本門寺 本門寺墓地 力道山墓所 池上本門寺 本門寺墓地 力道山墓所 

力道山墓所から大堂(祖師堂)の横が見える。歩き始めの此経難持坂脇広場から相当北に歩いてきたことになる。

右に力道山像があり、墓所の左には弟子などが建てた追悼碑がある。手書き文字の上にかすれており、読みにくいが力道山の急逝を悼む内容である。
昭和38年暮に渋谷でチンピラに刺殺された、と聞いた時は、あの力道山が、と思ったものである。享年39歳であった。
池上本門寺 本願寺墓地 満開の紅梅 池上本門寺 本願寺墓地 満開の紅梅 

右端に大堂(祖師堂)の正面部分が見える。
池上本門寺 前田利家室の層塔 池上本門寺 前田利家室の層塔 

 この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和八年(一六二二)に、自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔である。このことは当寺十五世(復歴)日樹の銘文でわかる。
 現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみである。屋蓋の反り具合からみて株式的に古い形を示し、注目される。
 なお天保四年(一八三三)の修復銘もある。
池上本門寺 前田利家室の層塔 池上本門寺 前田利家室の層塔 
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 

前田利家室の層塔は仁王門の裏にある。
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 

仁王門の奥には大堂(祖師堂)が見える。



 
万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次   東急 池上線H2603 目次  池上本門寺、満開の池上梅園散策H260304 目次  久が原駅〜雪が谷大塚駅〜石川台駅 池上本門寺(大堂(祖師堂)〜大坊本行寺〜實相寺)  ページ トップ