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目黒線 始発 目黒駅 目黒線 始発 目黒駅 

目黒線は目黒駅を始発とし、武蔵小山、大岡山、田園調布、武蔵小杉を経て日吉に至る。
駅数 13、営業距離 11.9km

【撮影記録】
平成25年 10月 27日 快晴
9:25〜11:40 12,100歩(歩行距離 概算 8.5km 地図上 6.2km)
目黒線 目黒駅〜目黒不動尊(瀧安寺)〜武蔵小山駅〜大岡山駅
駅数 6、営業距離 4.3km

地図の機能では目黒不動尊や大円寺などの参拝ルートや、駅間のルートは細かく規定できないので、地図と万歩計の歩数から計算された距離とに差が出ている。
久しぶりの好天で、長袖シャツもめくったが汗もだいぶかいた。今年は酷暑で歩いていないため体力が落ちているのを痛感した。
目黒駅前で左折 目黒駅前で左折 

JR目黒駅と東急目黒駅の間を西行きの一方交通の目黒通りが走る。
目黒駅前 行人坂へ向かう 目黒駅前 行人坂へ向かう 

正面に三井住友銀行があり、その右に目黒通り、左に行人坂に向かう道がある。左折すると山手線沿いのドレメ坂で、右手に杉野ドレスメーカー学院がある。目黒線はこの坂に沿って地下を走り、途中で右に曲がって行く。
目黒 行人坂を下る 目黒 行人坂を下る 

下りる時はともかく、上るのは大変な急坂で自転車では不可能である。幸いにして距離は短い。右にはホリプロの幾つものビルが続く。

行人坂

寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。
目黒 行人坂のホリプロ本社横を下る 目黒 行人坂のホリプロ本社横を下る 

古くは舟木一夫や、山口百恵などがおり、現在は和田あき子や、榊原郁恵などがいる。
目黒 行人坂 大円寺 目黒 行人坂 大円寺 

大円寺については別ページにまとめた。

大円寺には、明和9年2月(1722)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出した行人坂の大火と、八百屋お七の恋人である吉三(出家して西運)の遺構がある。
目黒雅叙園内の「お七の井戸」 目黒雅叙園内の「お七の井戸」 

行人坂を下りた左手に目黒雅叙園があり、工事のため一時撤去されていたお七の井戸がある。詳細は別ページにまとめた。
目黒川に架かる太鼓橋 目黒川に架かる太鼓橋 

太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って宝暦14年(1764)から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえいわれたが、大正9年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、昭和7年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により平成3年11月に完成した。
目黒川に架かる太鼓橋 目黒川に架かる太鼓橋 
目黒川に架かる太鼓橋 目黒川に架かる太鼓橋 

今の太鼓橋は平坦な普通の橋で、「太鼓」の面影はない。目黒川は前日の台風のため、濁って流量も多い。
目黒川は桜並木で有名であり、4月初めには多くの花見客で賑わう。
突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 突き当りで左折、山手通りの下目黒二丁目歩道橋を渡る 

突き当りの向かい側には蟠龍寺の参道が見える。
山手通り 下目黒二丁目歩道橋界隈案内図 山手通り 下目黒二丁目歩道橋界隈案内図 

中央の赤印が現在地で、その上下の緑の線が山手通り、左下に目黒不動尊がある。山手通りを右折(案内図では上)に大鳥神社があり、歩道橋を渡った所に蟠龍寺がある。蟠龍寺を見物後、目黒不動尊に向かう。
目黒 蟠龍寺 目黒 蟠龍寺 
目黒 蟠龍寺 目黒 蟠龍寺 

蟠龍寺と弁天様

この寺の創建は宝永6年(一七〇九)。浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここに移し、蟠竜寺と改名された。本尊阿弥陀如来像(都文化財)・善光寺如来像が安置されている。本堂横の祠の中に山手七福神の石仏の弁財天があり、木造の弁財天は、お堂にまつってある。池の奥に「おしろい地蔵」の異名をもつ地蔵がひっそりと立つ。
目黒 蟠龍寺 本堂 目黒 蟠龍寺 本堂 
目黒 蟠龍寺 目黒 蟠龍寺 

目黒行人坂付近にあった称明院〔慶安元年(1648)開創〕を、増土寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)「霊雲山称名院蟠龍寺」と改名再建されました。
次いで、寛致6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめています。
本堂には本尊として「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明年間(1781〜1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。
「江戸名所図会」にのった境内は、当時の風趣が偲ばれ、元禄11年(1698)建立の地蔵尊があります。また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されています。さらに境内には、藍蝋の歌碑や下目黒尋常小学校創立之碑などもあります。
目黒 蟠龍寺 岩窟弁財天 目黒 蟠龍寺 岩窟弁財天 

本堂の右に「岩窟弁天」の石碑があり、その奥に岩窟があり、その中に石造の弁財天がある。
目黒 蟠龍寺 岩窟弁財天 目黒 蟠龍寺 岩窟弁財天 
目黒 蟠龍寺 弁天堂 目黒 蟠龍寺 弁天堂 

「岩窟弁天」の石碑手前に小山があり、その上に弁天堂がある。



 
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