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大井町線 始発 大井町駅
大井町線は大井町駅を始発とし、旗の台駅、大岡山駅、自由が丘駅を経て二子玉川駅を終点とする。
駅数 15、営業距離 10.4km
【撮影記録】
平成25年 11月 22日 快晴
9:40〜14:00(昼食15分) 21,600歩(歩行距離 概算 15.1km 地図上 13.9km)
大井町線 大井町駅〜自由が丘駅〜二子玉川駅
駅数 15、営業距離 10.4km
当たり前だが、冬の快晴時には写真がくっきりと綺麗に撮れる。さらに小春日和で長袖の袖をまくっても汗だくになるほどの暖かさであるが、低湿度で汗を全くかかずに歩きやすかった。
5年ぶりなので、戸越公園がこんなに日本庭園として整っていたかなとか、九品仏がこれほど大きかったのかな、等々力渓谷の谷沢川に生活排水が流れ込んで汚いなどの発見があった。 |
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東急大井町駅前から見たJR大井町駅
正面左にJR大井町駅の駅ビルのアトレ大井町である |
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区役所通り(都道420号)を西進
大井町線に沿って区役所通り(都道420号)を歩く。 |
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区役所通り(都道420号) 品川区役所前交差点
右折すると品川区役所があり、そのまま進むと大崎駅に出る。左折すると三間通りで、横須賀線の西大井駅方向に向かう。交差点を直進する道路は都道420号支線となる。
三間通りはこの後荏原町駅や、旗の台駅前を歩く時に出てくる。 |
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区役所通り(都道420号) 品川区役所前交差点
大井町線の高架に品川区総合庁舎の道案内が掲示されている。 |
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都道420号支線 大井町線高架沿いに西進
横須賀線線路があり、そこで行き止まりのため支線となっているが、戸越公園横の大崎高校前から国道1号方面は本線として開通している。現在大崎高校での地下トンネルが工事中である。 |
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大井町線 下神明駅
駅前が道路工事の上、駅が奥まった所にポツンとあるため、少し分かりにくい。大井町線の高架が目安になる。 |
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下神明駅で道なりに右折、突き当りで左折
今回で大井町線沿線歩きは3回目だが、下神明駅から戸越公園までは小路がたくさんあって分かりにくく、毎回地図との対比が難しいため道に迷う。
本来は高架手前に踏切があってそこを渡る予定だったが、道路工事で閉鎖されており、工事警備員の指示に従って横須賀線の西側に向かう。突き当りは新幹線高架下を走る横須賀線の線路で、左折するとすぐにガードが見える。 |
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横須賀線のガード下をくぐり抜ける。 |
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ガードを抜けてすぐ右折、横須賀線沿いに坂を上る |
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日本音楽高校正門前で左折、住宅街を西進
日本音楽高校は道歩きの重要な目印だが、どこで左折するかが分かりにくく、違う所で曲がると目印が全くない住宅街に入り込む。地域の人に聞いても右左折を繰り返すので四苦八苦したこともあった。 |
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日本音楽高校角の突き当りで右折
一見交差点のように見えるが、奥に民家があってそこで行き止まりになっている。 |
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日本音楽高校付属幼稚園で左折して横道へ
突き当り交差点で右折して付属幼稚園沿いに進んですぐ先の民家に挟まれた狭い横道で曲がる。先に大きな横道も有るが、付属幼稚園から離れるので注意が必要である。 |
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突き当たりすぐ左の横道を進む
写真では緑色のシートの所に横道がある。 |
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住宅街を西進
電柱にある広域避難場所としての戸越公園表示で道順が正しいことを確認する。 |
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突き当りで右折、戸越公園沿いに北上
右手に戸越公園の東門である冠木門が見える。 |
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品川区立 戸越公園 東門 冠木門 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園前広場
紅葉や黄葉した木立が見える。 |
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品川区立 戸越公園 薬医門前広場
東門の冠木門の右の階段を上ると奥に正門の薬医門があり、その前に広場がある。前回(平成21年1月)に来た時はこの広場の半分を使ってゲートボールをしていた。 |
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品川区立 戸越公園 正門 薬医門 |
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品川区立 戸越公園 正門 薬医門
本公園は寛文年間(一六六二年)に熊本藩細川家の下屋敷の一部となっていました。 この戸越屋敷は、江戸滝の口の上屋敷及び芝白金の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りやキジ狩り、あるいは茶会等を行う別荘風の邸宅であったとされています。 したがって、この戸越屋敷に設けられていた武家屋敷門は、上屋敷あるいは芝白金の下屋敷に構築されていたと推定される長屋門とは異なり薬医門、冠木門等の簡素なものが中心であったと考えられます。
以上の歴史的背景をふまえ簡素で質実剛健な様式であり、本公園の正門にふさわしい点から平成四年四月にこの薬医門を、平成二年三月には東門として冠木門を構築しました。
薬医門のいわれは医師の門として使われたことから、こう呼ばれていたようです。
主材としては台檜(台湾檜)、三州日本瓦を使用した本格的な造りとなっています。 |
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品川区立 戸越公園 戸越公園の沿革
本公園は寛文2年(1662)、肥後の国熊本藩主細川越中守重利が下屋敷として、この付近の地と共に拝領し、寛文11年(1671年)当時の武家屋敷を代表する数寄屋造りと庭園からなる戸越屋敷として整備した庭園の一部であります。天明4年(1784年)松平雲州公の屋敷となり、さらに松平隠岐守の手にと渡りました。明治の変革により久松家などの手を経て、明治23年(189O年)三井家の所有となりました。
昭和7年(1932年)三井家が現在の戸越小学校の一部と共に別邸の庭園部を旧荏原町役場に寄付しました。東京市拡張の際、旧荏原区に引き継がれ、昭和9年東京市は公園の整備を行い、昭和10年3月に完成し、東京市立戸越公園として開園しました。
その後、東京都に引き継がれ、昭和25年10月に品川区に移管された区内でも由緒ある公園です。その後区では数次にわたる改修を重ね、歴史的な風情を復元させ武家屋敷の雰囲気をかもしだすよう、正門を始め施設の再整備を行い現在に至っています。
<公園の概要>
1.面積 18,255.0u (池の面積 1,815u 湧水と水道水を併用)
2.開園日 昭和10年3月24日
3.公園便所 3ヶ所(身障者用便所1ヶ所含む)
4.みどころ 池を中心とした回遊式庭園に咲くサクラやツツジ、キンモクセイ、ウメなど
5.主な利用 区内だけでなく区外からの利用も多く、朝のラジオ体操やゲートボール、祭り、いろいろな催しなど多岐にわたり利用されています。 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園、四阿 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園前広場 イロハモミジ
大きく、見事に紅葉したモミジである。 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園 |
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品川区立 戸越公園 回遊式庭園 |
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品川区立 戸越公園 西北角の出口を出て、戸越小学校横を歩く
道の左には大崎高校がある。 |