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東横線の線路沿いに南下
10日ほど前に目黒線撮影で歩いた時はきれいに紅葉していた。今は葉は残っているものの、枯れ葉一歩手前である。 |
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東横線の線路沿いに坂を下り、南下
複々線の中央2線は目黒線で、それを挟むように東横線の線路がある。 |
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田園テニス倶楽部(旧 田園コロシアム)
かつては昭和11年オープンの田園コロシアムとして一世を風靡したが、施設の老朽化、有明コロシアムのオープンなどから平成元年に閉鎖され、敷地はマンションなどになった。 |
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多摩川駅ホーム沿いの田園調布せせらぎ公園
多摩川駅ホームの左側(東側)沿いに公園がある。 |
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東横線 多摩川駅駅 |
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多摩川駅前 多摩川浅間神社
創建は八百年前の鎌倉時代
当浅間神社は、今から約八百年前、鎌倉時代の文治年間(一一八五〜九〇)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣したおり、夫の身を案じ、後を追って来た妻政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれづれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には、守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人達はこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。 承応元年(一六五二)五月、浅間神杜表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると片足が有ません。そこで足を鋳造してお祀りし、六月一日に神事を行いました。以来、神社のご祭礼は六月に行われております。 |
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多摩堤通り 丸子橋交差点で右折、中原街道(都道2号)へ |
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中原街道(都道2号) 多摩川に架かる丸子橋 |
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中原街道(都道2号) 丸子橋から見た武蔵小杉駅の高層タワーマンション群
武蔵小杉駅の横須賀線口周辺から始まった再開発はまだまだ続き、北口の南武口側も建設が始まりだした。 |
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中原街道(県道2号) 丸子橋交差点で左折、綱島街道(県道2号)へ
丸子橋の中ほどで神奈川県に入り、都道2号は県道2号となる。 |
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綱島街道(県道2号) 新丸子交差点で右折
右折すると狭い駅前商店街となり、その先に東横線の高架が見える。 |
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東横線 新丸子駅
駅前商店街の突き当りに新丸子駅がある。 |
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新丸子駅 西側の線路沿いに南下 |
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突き当りの武蔵小杉駅前交差点で南武沿線道路を渡り、JR武蔵小杉駅へ |
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JR 南武線 武蔵小杉駅(北口 南武線口)
横須賀線の武蔵小杉駅は新南口(横須賀線口)と言い、連絡通路で綱島街道沿いに8分前後かかる。 |
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東横線 武蔵小杉駅(正面口) |