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清澄庭園・中村学園通り 清澄庭園 正門
8年前(平成16年)の11月に訪れて以来、久しぶりに入園した。当時はまだ現役だったが、3ヶ月前に65歳の高齢者となり、入場料金は半額となった。150円が75円となり、高齢者恩典を初めて利用した。 |
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清澄庭園 正門
江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、下総国関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て、三菱財閥の岩崎彌太郎が明治13年(1880年)に深川親睦園として開園した。
岩崎彌太郎の死後、弟の彌之助が隅田川の水を引き入れ大泉水を作ったり、各地から取り寄せた奇岩名石を配し、明治24年(1891年)に庭園として完成させた。
しかし、関東大震災で庭園は大被害を受けたが、その一方で避難場所としての役割を果たした。 岩崎彌太郎の嗣子久彌は、この機能に注視し、被害の少ない 深川親睦園の東半分を東京市に寄付した。東京市は整備し、昭和7年(1932年)に 清澄庭園として開園した。更に昭和48年に庭園の西の隣接地を買収し、昭和52年に都立公園として清澄公園が開園した。 |
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清澄庭園 正門 案内に従い左手に進む |
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清澄庭園 奇岩名石の数々 #4伊豆磯石
名石
岩崎家が自社の汽船で全国の名石を各地から集め、園内に配置したものです。その代表的な石には、伊豆磯石、伊予青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、相州真鶴石、備中御影石、加茂真黒石、京都保津川石、讃岐御影石、根府川石などがみられます。このほかに敷石や磯渡りの石を含め、無数の石が配置され、「石庭」を見るかのようです。
それぞれの石にどこの石かの説明札が付けられていた。伊豆地方の石が多かった。 |
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清澄庭園 大正記念館
大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したものでしたが、戦災で焼失してしまいました。昭和28(1953)年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建され、現存する記念館は平成元(1989)年4月に全面改築されたものです。 |
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清澄庭園 泉水
広い池に三つの島を配し、数寄屋造りの建物、水面に小島、木々の影を映す庭園の要です。昔は隅田川から水を引き、東京湾の潮の干満によって微妙に変化したといわれていますが、現在は雨水でまかなわれています。
左手前に名石の#11生駒石がある。 |
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清澄庭園 泉水、涼亭 |
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清澄庭園 泉水、磯渡り
満々と水をたたえた池の端に石を飛び飛びに置いて歩けるようになっています。磯を渡るように歩を進めると、池の魚や水面に映る木々の緑など、景観の変化を楽しむことができます。 |
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清澄庭園 泉水、涼亭 |
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清澄庭園 大正記念館再建 高松宮記念植樹 |
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清澄庭園 大正記念館 |
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清澄庭園 大正記念館 |
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清澄庭園 泉水 |
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清澄庭園 東辺は清澄通り沿いの鉄柵 |
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清澄庭園 泉水、中の島 |
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清澄庭園 中の島 |
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清澄庭園 中の島 |
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清澄庭園 中の島からの風景
左に大正記念館、奥の茶色の建物は正門前の中村学園である。 |
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清澄庭園 中の島からの風景
左には鶴島が見える。 |
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清澄庭園 泉水、富士山 |
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清澄庭園 九重塔
九重塔は清澄庭園の東南の門で、ここから南辺を歩く。 |
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清澄庭園 石仏群(江東区文化財) |
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清澄庭園 石仏群(江東区文化財) |
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清澄庭園 石仏群(江東区文化財)
@庚申塔
高さ八九・五センチメートル
石質安山岩(小松石)
時代寛文10年在銘(一六七〇)
A法印慶光供養塔(阿弥陀佛)
高さ一四―センチメートル
石質安山岩(小松石)
時代 延宝七年在銘(一六七九)
B庚申塔
高さ六七・五センチメートル
石質安山岩(小松石)
時代文化十二年在銘(一八一五)
C馬頭観音供養塔
高さ四十四センチメートル
石質安山岩(小松石)
時代安永三年在銘(一七七四) |