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北本通り(国道122号) 装束ゑの木市の幟
装束稲荷神社の場所は非常に分かりにくい。イベントの時はこの幟があるので、コースマップを見て確認するが、マップ自体が分かりにくく難儀する。
北本通りのほりぶんの黄色いビルが目標である。 |
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北本通り(国道122号) 案内に従い左折
電柱に装束稲荷神社への案内があり左折するが、無ければ分からない。 |
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装束稲荷神社 装束ゑの木市
装束ゑの木市は毎月第3土曜日開催とのことで、本来は先週開催されていた。このイベントのため臨時開催されたのかもしれない。 |
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装束稲荷神社 装束ゑの木市 |
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装束稲荷神社 装束ゑの木市 |
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装束稲荷神社 装束ゑの木市
装束稲荷神社
毎年大晦日、関東一円の狐がここに立っていた榎の元に集まり装束を整え、関東総司である王子稲荷神社へ正月の挨拶をしたという伝説が残る。「装束榎」と呼ばれた榎は2代目となり、装束稲荷神社と装束榎の碑が残る。 |
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装束稲荷神社 装束ゑの木市 |
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装束稲荷神社横の道で右折 |
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ほりぶん前交差点で左折、北本通り(国道122号)へ
交差点名はないが、黄色の「ほりぶん」を目標とすると分かりやすい。 |
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北本通り(国道122号) 北とぴあ前交差点 |
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北本通り(国道122号) 北とぴあ前交差点で右折 |
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王子駅前 北とぴあ
北とぴあは王子駅の北にあり、北区の文化交流施設で、会議室や展示ホールなどがある。
北区のコミュニティバスであるKバス王子・駒込ルートの始発停留所は、北とぴあの向かい側にある。 |
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JR 権現坂ガードを抜ける |
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権現坂下交差点で右折、森下通りへ
交差点名はないが、権現坂ガードをくぐり抜けてすぐの交差点である。 |
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権現坂下交差点 界隈案内図
左上角からの青線は石神井川で、下の王子駅界隈は音無親水公園である。その少し上が現在地で、京浜東北線沿いに右に上って行く。 |
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森下通りを北東に進む |
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森下通り 王子稲荷神社
王子稲荷神社
関東稲荷社の総社。落語「王子の狐」の舞台としても知られる。境内の奥には持ち上げて願い事をする願掛けの石や。狐が住んでいたお穴さまがある。 |
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王子稲荷神社 額面著色鬼女図
日本画家・蒔絵師として著名な柴田是真作の額面著色鬼女図は、天保十一年(一八四〇)二月初午に、江戸住吉の砂糖商人の同業組合である明徳講が、商権の拡大を願って奉納した絵馬です。
絵馬は、凡そ縦一九〇cm、横二四五cmの大きさで、画面いっぱいには、酒呑童子の家来茨木童子が化けた鬼女の姿が描かれています。
源頼光の家臣渡辺綱は、女に化けた茨木童子の退治に出かけ、その女の片腕を切り取ってしまいました。六日後のこと、鬼女は、切り取られた腕を取り返すべく、渡辺綱の伯母に化けて、綱の屋敷を訪れます。鬼女は、腕を取り返すや否や、伯母から変じて目を怒らせ、口を開き、疾風のごとく空中に飛び去りました。
この画の麗美な衣装とグロテスクな面貌との対照が場面の凄みを高め、人々を慄然とさせ、是真の名を世に知らしめる契機となったと伝えられます。 |
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王子稲荷神社 |
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王子稲荷神社 |
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森下通り 名主の滝公園 医王門
名主の滝公園
江戸時代、王子村の名主畑野家が自邸に開いた庭園。王子近辺には「王子七滝」と呼ばれる7つの滝があったが、現存するのは名主の滝だけで、落差約8mの男滝など4つの滝からなる。 |
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名主の滝公園
名主の滝は、王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、一般の人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまるもので、名称もそれに由来しています。この時期はさだかではありませんが、嘉永三年(一八五〇)の安藤広重による「絵本江戸土産」に描かれた「女滝男滝」が名主の滝にあたると思われますので、それ以前のことと考えられています。
明治の中頃、畑野家から貿易商である垣内徳三郎の所有となり、氏は好んでいた塩原(栃木県)の景に模して、庭石入れ楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷の趣のある庭園として一般の利用に供しました。 |
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名主の滝公園 医王門 |
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名主の滝公園 |
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名主の滝公園 |
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名主の滝公園 男滝
ここらへんに男滝があるはず、と思ったら、掲示板があった。
節電のため流れを
止めています。
ご了承ください。
北区役所 |
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名主の滝公園 男滝
名主の滝公園はこれで3回目だが、全く水が流れていないのは始めてで、単なる石組みに見える。
4年前に見たときは轟々と言う水音が園内に響きわたっていた。 |
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名主の滝公園 |