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三渓園
秋の三渓園散策H231121
三渓園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家原三渓(本名:富太郎)の元邸宅で、明治39(1906)年一般に公開された。戦後に原家の私庭だった内苑も公開された。175,000u(約53,000坪)の庭園は広大で、3区画に分けて三渓園を紹介する。
正門から入ると正面に大池があり、旧燈明寺三重塔が遠望できる。大池沿いに右手から歩くと旧原家住宅の鶴翔閣(横浜市指定有形文化財)があり、横山大観など三渓と交流のあった多くの文化人らが出入りした場所としても知られている。内苑に入り、三渓記念館を見物後、御門(横浜市指定有形文化財)をくぐると原三渓が隠居所として建てた白雲邸(横浜市指定有形文化財)、数寄屋風書院造として別荘建築の臨春閣(重要文化財)、旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)と廻る。
内苑の色付いた木々を楽しみつつ、工事中の春草廬、旧天瑞寺寿塔覆堂の裏手を経て内苑を出て大池沿いを歩く。原三渓之碑前の菊花展は規模は小さいものの、いくつもの懸崖が並び、花の大きさも立派である。大池沿いを進み、三渓園茶寮の先で右折、聖武天皇の勅願寺である京都燈明寺にあった三重塔へ向かい、そこから見える旧燈明寺本堂の屋根は立派である。
大池の高浜虚子句碑や色付いた木々を眺めつつ、大池の中にある四阿の涵花亭を過ぎ、白木の観心橋を渡って三渓園天満宮を右折する。爆撃により消失した楠公社の由緒(観心寺)から観心橋と名付けられた。現在廃寺となっているが近年まで京都に所在した日蓮宗の寺院の旧燈明寺本堂(重要文化財)の前には菊花展が開かれている。戻って三渓園天満宮前を通り、八つ橋を渡り盆栽展を見た後、正門に至る。
晩秋の三渓園H221124
三渓園の南門から入り、木立の中を北上、紅葉したもみじがきれいな海岸門を経て、大池の菊花展を見た後右に向かい、三渓園茶寮、大池の涵花亭、観心橋、三渓園天満宮、八つ橋と過ぎて三渓園正門に至る。三渓園天満宮の場所にあった楠公社は、大阪の・観心寺にあったものであるが、空襲により失われ、観心橋はこれに因んで名付けられた。
正門から大池の西側沿いを南下、原富太郎(三渓)が明治30年代に自邸として建てた鶴翔閣、三溪記念館を経て、臨春閣に入り、様々に紅葉した木々が美しいが、何故か黄葉した木々は殆ど無い内苑の旧天瑞寺寿塔覆堂、聴秋閣を見物する。その後、大池沿いに北上し、正門に戻る。
三渓園H170528
三溪園は本牧通り沿いにあるものの、根岸駅や横浜駅からバスに乗って行かないと難しい。三溪園は生糸貿易で財を成した原三溪が京都、鎌倉などの価値ある建築物を移築し、明治39年に一般公開した。旧居の鶴翔閣、西方寺の薬医門だった御門、旧燈明寺之三重塔、三溪園名物の花暦である白い睡蓮や、さつき展などがある。
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