猿楽町〜神保町〜神田警察通り〜
鎌倉橋交差点〜神田橋



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猿楽通りを進む三の宮鳳輦 猿楽通りを進む三の宮鳳輦 

猿楽通りは三省堂書店の反対側の斜めに上る道である。
猿楽通りを進む。 猿楽通りを進む。 

後方は錦華公園で、脇に夏目漱石の「吾輩は猫である」の碑がある。
猿楽通りを進む一の宮鳳輦 猿楽通りを進む一の宮鳳輦 
お祓いを受ける猿楽町の氏子 お祓いを受ける猿楽町の氏子 
錦華通りを進む一の宮鳳輦 猿楽通りを進む一の宮鳳輦 
東京音楽大学発祥の地 東京音楽大学発祥の地 

猿楽通りに沿って西側の錦華通りに向かう直前で、明大付属中高校の手前にある。東京音楽大学は、旧東洋音楽学校と言い、明治40年にこの地に設立された。
錦華通りを進む一の宮鳳輦 錦華通りを進む一の宮鳳輦 
次の町内に引き継ぐ猿楽町の氏子 錦華通りで、次の町内に引き継ぐ猿楽町の氏子 
神保町交差点 神保町交差点 
神保町交差点 神幸祭旗 神保町交差点 神幸祭旗 
神保町交差点 先導を務める神保町の氏子 神保町交差点 先導を務める神保町の氏子 
神保町交差点 獅子頭山車 神保町交差点 獅子頭山車 
神保町交差点 お祓いをする神職 神保町交差点 お祓いをする神職 

神職は大勢の氏子、見物客のいる所でお祓いをする。神幸祭の巡行と一緒に歩いたので、何度お祓いを受けたか分からない。
神保町交差点 神馬 神保町交差点 神馬 
神保町交差点 宮司 神保町交差点 宮司 
神保町交差点 一の宮鳳輦神名旗 神保町交差点 一の宮鳳輦神名旗 
神保町交差点 一の宮鳳輦 神保町交差点 一の宮鳳輦 
神田すずらん通りを進む一の宮鳳輦 神田すずらん通りを進む一の宮鳳輦 

神保町交差点を曲がってすぐのすずらん通りに左折、進む。
右折して千代田通りへ進む一の宮鳳輦 右折して千代田通りへ進む一の宮鳳輦 
千代田通りで出迎える氏子 千代田通りで出迎える氏子 
神保町の氏子によるお囃子の車が付き従う。 神保町の氏子によるお囃子の車が付き従う。 

大きな町内会は先導や、鳳輦を引くだけではなくお囃子の車が付き従う。
神田警察通りを進む一の宮鳳輦 神田警察通りを進む一の宮鳳輦 
町ごとに引継ぎを行う氏子 町ごとに引継ぎを行う氏子 
神田錦町三丁目の説明板 神田錦町三丁目の説明板 

江戸時代この界隈は武家屋敷が軒を連ねる地域だった。「天下のご意見番」として講談や時代劇にたびたぴ登場する大久保彦左衛門忠教も、寛永(1624〜1644)の頃、このあたりに住んでいたと伝わっている。
錦町の名前は、「錦小路」と呼ばれていた通りに由来する。
神田錦町を進む二の宮鳳輦 神田錦町を進む二の宮鳳輦 
電機学校発祥の地 電機学校発祥の地 

明治40年に東京電機大学がこの地に創建された。
神田錦町二丁目の説明板 神田錦町二丁目の説明板 

江戸時代、この界隈は、武家屋敷が軒を連ねる地域だった。当時の武家地には町名がなく、かわりに「綿小路」という通称で呼ばれていた。もともとほ「二色小路」という字を当てていたとされるこの呼び名は、近くに’色という名の旗本の家が二軒あったことに由来するといわれている。
神田警察通りを進む一の宮鳳輦 神田警察通りを進む一の宮鳳輦 
美土代町 町内会 美土代町 町内会 
一の宮鳳輦を出迎える美土代町の氏子 一の宮鳳輦を出迎える美土代町の氏子 
右折して外堀通りへ。 右折して外堀通りへ。 
鎌倉橋交差点で右折、神田橋へ向かう。 鎌倉橋交差点で右折、神田橋へ向かう。 

後方に日経新聞社本社が見える。
鎌倉橋の氏子 鎌倉橋の氏子 



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