神田橋〜将門塚〜新常盤橋交差点
(English)
直前のページに戻ります。
写真の一覧表へ
神田橋を進む七色旗 | |
神田橋を進む二の宮神名旗 | |
神田橋を進む二の宮鳳輦 | |
右折して平将門塚に向かう一の宮鳳輦 平将門塚は、日比谷通り沿いの読売新聞社の向かい側にある。 |
|
右折して平将門塚に向かう二の宮鳳輦 | |
右折して平将門塚に向かう三の宮鳳輦 | |
平将門塚 神田明神の由緒書を見れば、なぜここを訪れたのかが分かる。 神田明神は天平2年(730年)、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建。それから約200年後、平将門の首を奪い返して塚を築き、葬った。さらに、延慶2年(1309年)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けた。元和2年(1616年)現在の場所に移り、江戸城の鬼門の守護神となり江戸総鎮守として現在に至る。 |
|
平将門塚 慰霊祭 慰霊祭が行われている約30分間は、行列の人々にとっては最初の休憩となる。出発から約2時間である。 |
|
平将門塚は、酒井家上屋敷跡 江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であリ歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達騒動の終末伊達安芸・原田甲斐の殺害されたところである。 この事件は、寛文11年(1671年)の事であり、先代萩の政岡のモデルである4代綱村の生母浄眼院(浅岡局、三沢初子)の像がが深く帰依した恵比寿の正覚寺にある。 |
|
平将門塚 慰霊祭 | |
平将門塚 慰霊祭 | |
平将門塚で行われた将門太鼓 | |
平将門塚で行われた将門太鼓 | |
読売新聞社 | |
巡行を再開 諌鼓鶏山車(かんこだし) 撮影地は読売新聞社で、横の道を通って新常盤橋に向かう。 |
|
巡行を再開 獅子頭山車 | |
巡行を再開 一の宮神名旗 | |
巡行を再開 巫女、乙女(市女笠) | |
巡行を再開 二の宮神名旗 | |
巡行を再開 三の宮鳳輦 | |
逓信総合博物館 外堀通りとの交差点にある。 |
|
大蔵省紙幣寮跡地の碑 逓信総合博物館 ていぱーくの前にあり、「大蔵省紙幣」までしか読めない。 |
|
JR 山手線ガード下を進む三の宮鳳輦 | |
新常盤橋交差点に向かう二の宮鳳輦 | |
新常盤橋交差点で江戸通りへ |