室町三丁目〜岩本町〜和泉公園〜美倉橋


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巡行する獅子頭山車 巡行する獅子頭山車 
行く先々で随伴する氏子が代わる。 行く先々で随伴する氏子が代わる。 
日本橋本町を進む。 日本橋本町を進む。 
神田祭のポスター 神田祭のポスター 

これは鍛冶町二丁目町会となっているが、町会ごとに作っているようで、何種類かあった。
神幸祭 巡行を迎える紺屋町南町会の氏子 神幸祭 巡行を迎える紺屋町南町会の氏子 
神幸祭 巡行を迎える乗物町町会の氏子 神幸祭 巡行を迎える乗物町町会の氏子 
乗物町会で随伴を引き継ぐ氏子 乗物町会で随伴を引き継ぐ氏子 
乗物町会の氏子が迎える前を進む三の宮鳳輦 乗物町会の氏子が迎える前を進む三の宮鳳輦 
東松下町 東松下町 

最寄の駅はJR神田駅で、その東側である。

江戸時代のこの界隈は、商人や職人の家と、武家屋敷が混在する場所でした。このうち武家地には、「お玉が池」という一風変わった通称の一角があったことも知られています。文政8年(1825年)、北辰一刀流開祖千葉周作の剣術道場「玄武館」が、日本橋品川町からこの地に移ってきました。門人数干人という玄武館は江戸随一の道場ともいわれ、坂本龍馬、清河八郎、山岡鉄舟なども同門の出身です。
靖国通りを越えて、昭和通り沿いに歩く。 靖国通りを越えて、昭和通り沿いに歩く。 
巡行を迎える氏子 巡行を迎える氏子 
岩本町を進む一の宮鳳輦 岩本町を進む一の宮鳳輦 
柳原土手跡 柳原土手跡 

昭和通り沿いで和泉橋の手前にある。

『江戸名勝志』に柳原土手西は筋違橋(元の万世橋)よリ東
は浅草橋迄の間、長さ十丁余(約1.1キロメートル)つづけリ。
柳樹多くあり“とあり、昔このあたりは土手で柳の並木がありました。『柳森神社記』によると長禄2年(1458年)太田道濯が江戸城の鬼門よけに、柳を植えさせたどあります。明治6年土手は崩されました。
和泉橋を渡る一の宮鳳輦 和泉橋を渡る一の宮鳳輦 

この後見物客や氏子でごった返す秋葉原駅前を通過、信号も無い所を横断し、佐久間学校通りを進む。鳳輦の進みに合わせて警察が信号の間隔を変えたり、車を止めて昭和通りを渡るなどをするため、一緒に動かないと付いて行けない。信号を守り、交差点で曲がっていてはいられない。
和泉公園 和泉公園 

小公園であり、12時前後に着いて20分程度休憩する。
和泉公園前で迎える佐久間町の氏子 和泉公園前で迎える佐久間町の氏子 
清洲橋通りに出て、南下。 清洲橋通りに出て、南下。 
巡行に随伴する和泉町会の祭囃子 巡行に随伴する和泉町会の祭囃子 
清洲橋通りを南下する獅子頭山車 清洲橋通りを南下する獅子頭山車 
清洲橋通りを南下する獅子頭山車 清洲橋通りを南下する獅子頭山車 
清洲橋通りを南下する一の宮鳳輦 清洲橋通りを南下する一の宮鳳輦 

JR総武線の浅草橋駅手前のガード下をくぐり、南下する。
美倉橋から見た神田川下流 美倉橋から見た神田川下流 

美倉橋を渡って左折する。



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