日光街道 散策
(English)
写真の一覧表へ
(2)小塚原刑場跡 回向院
南千住駅 南口のJR常磐線ガード ガード手前右に小塚原回向院があり、常磐線と、次の日比谷線との間に小塚原刑場跡がある。 左には南千住駅がある。 |
|
小塚原 回向院 営団地下鉄 日比谷線南千住駅傍にあり、両国回向院の別院である。来歴によると、小塚原で処刑された罪人は両国回向院に葬られたが、手狭になりここに葬られた。 江戸時代の処刑者は20万人と言われ、安政の大獄で処刑された吉田松陰、橋本左内を始め、ねずみ小僧、直侍、最後の処刑者 高橋お伝などの墓がある。 |
|
小塚原 回向院 回向院は、寛文七年(一六六七)、本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養 のために開いた寺で、当時は常行堂と称していた。 安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。 明和八年(一七七一)蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に立ち合った。後に『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、大正十一年に観臓記念碑が建立された |
|
小塚原 回向院 史跡参拝所 右から腕の喜三郎、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)である。 腕の喜三郎は、罪人ではなく、怪我した腕を鋸で切り落とした任侠だそうである。 |
|
小塚原 回向院 史跡参拝所 右から片岡直三郎(直侍)、ねずみ小僧次郎吉である。ねずみ小僧の墓は両国回向院にもあり、どちらが正しいのかは知らない。 |
|
小塚原 回向院 史跡参拝所 約4年前に始めて来た時にはねずみ小僧などの墓は入口手前にあった。このような整備されたものではなかった。 |
|
小塚原刑場跡(延命寺) JRの高架の下にひっそりとあり、何回かこの近くまで来ていたが、気が付かなかった。 |
|
小塚原刑場跡(延命寺) | |
小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 小塚原での刑死者の菩提を弔うため寛保元年(一七四一)に建立されたこの地蔵は、二十七個の花崗岩を組み合わせた全体の高さが四メートルに近い坐像で、台座には発願者・石工が刻まれている。奥州街道沿いにあったので、江戸に出入りする多くの人が目にしたという。明治二十八年(一八九五)に土浦線(現常磐貨物線)敷設工事のため線路の南側から現在地に移されたが、人々に安らぎを与えてきた慈悲の姿は変わるところがない。 |
|
小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 | |
小塚原刑場跡(延命寺) 江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の二つである。 小塚原の刑場は、間口六十間余(約百八メートル)、奥行三十間余(約五十四メートル)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。 首切地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(一七四一)に造立されたものである。 |
|
小塚原刑場跡(延命寺) 小塚原刑場跡は延命寺となっており、南千住駅南口の向かい側にある。jJRなどの線路の向側には結構大きな跨線橋を渡る。 |
(3)西ヶ原の一里塚