|
旧乃木邸
乃木希典大将は長州出身で、日露戦争の第三軍司令官として旅順攻略に当たり、息子二人を戦死させた。明治天皇の大葬に妻ともに自刃、旧邸は乃木神社、乃木公園と共に保存された。
外苑東通りの乃木坂交差点の手前に旧邸、交差点から坂下の赤坂通りにかけて乃木神社、二つの通りを結ぶ小さな公園が乃木公園である。 |
|
旧乃木邸及び馬小屋
明治35年(1902年)に新築され、大正元年(1912年)に、明治天皇の御大葬に夫妻で殉死するまで住んでいた。乃木大将がドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てられた。 |
|
乃木大将略歴 |
|
旧乃木邸 御供待所
額は乃木将軍の略歴である。厩はレンガ造りであるが、来客の供が待つ所は見劣りする。 |
|
乃木将軍と辻占売り少年像 |
|
乃木将軍と辻占売り少年像
明治24年(1891年)に、金沢に用務で訪れた乃木少将が家計を助ける辻占売りの子供に1円を与えた。後この子供は金沢名産の金箔業で大きな業績を上げた。 |
|
旧乃木邸 厩跡 |
|
旧乃木邸 愛馬の由来
日露戦争の旅順開城の調印を行った水師営で、敵将ステッセルより乗馬が譲られ、壽号として愛用した。 |
|
日露戦争 水師営の棗の木の孫木
旅順開城の約が成った水師営の棗の木の孫木である。 |
|
旧乃木邸 庭園 |
|
旧乃木邸 七五三風景
旧乃木邸は乃木神社の裏に当たる。七五三のお祓いを受ける人が多く、順番待ちの間に庭園で記念写真を撮る人が多い。 |
|
旧乃木邸 瘞血之處の碑
殉死時に血が付いたものを埋めた。「瘞」の字はパソコンによっては表示されない可能性がある。 |
|
旧乃木邸 遺品埋設の碑 |
|
旧乃木邸
右端の部屋が夫妻自刃の部屋である。 |
|
旧乃木邸 故大将殉死之室
部屋には入れないが、ベランダから室内を見ることが出来る。 |
|
旧乃木邸 応接室
ガラス窓が老化で曇っており、室内が見難い。 |
|
旧乃木邸 故大将之居室 |
|
旧乃木邸 故大将殉死之室 |
|
旧乃木邸 故大将殉死之室
ガラス窓の曇りがひどく、見難いが、手前に大将の札と、妻の札がある。 |