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皇居前広場 大楠公(楠木正成)像 |
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和気清麻呂像
竹橋駅傍にある大きな銅像。道鏡事件の立役者、宇佐神宮と言っても分かる人はどれほどいるのだろうか。 |
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九段会館
昭和9年建築の旧軍人会館。九段下にあり、独特の様式は帝冠様式と呼ばれる。 |
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九段会館 |
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帝国陸軍 創設者 大村益次郎像 |
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大村益次郎像 由緒書 |
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旧近衛師団司令部
首都高環状線の代官町出入り口にあり、千鳥ヶ淵から北の丸公園に向う道沿いにある。現在は国立近代美術館の工芸館となっている。 |
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旧近衛師団司令部 |
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旧近衛師団司令部
近衛師団長であった陸軍大将 北白川宮能久親王 |
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近衛師団司令部跡の北白川宮像 |
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近衛師団第一連隊跡記念碑
武道館前の休憩所の横にあり、木陰の中で目立たない。 |
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近衛師団第一連隊跡記念碑 |
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近衛師団第一連隊跡記念碑 |
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九段坂 品川弥二郎子爵像
長州藩士で、会奸薩賊と書いた下駄を履いていたことでも有名。
大山巌像と併設し、田安門外で、靖国神社大鳥居の反対側にある。 |
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九段坂 大山巌元帥像
日露戦争の満州軍総司令官で、西郷隆盛の従弟。徳富蘆花作「不如帰」のヒロインの父のモデルとも言われる。 |
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九段坂 大山巌元帥像 |
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有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像
南麻布の有栖川宮公園内にある。 |
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有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像 |
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鹿鳴館跡
日比谷公園の向かい側、大和生命ビルの帝国ホテルとの境の壁にある。
ここはもと薩摩の装束屋敷跡であってその黒門は戦前は国宝であった。
この中に明治十六年鹿鳴館が建てられいわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった。 |
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二・二六事件 慰霊像
渋谷税務署の隣にある。
昭和11年2月26日に歩兵第一、第三連隊の約1,500名が昭和維新断行を企図して決起、29日に無血裡に終息した。首謀者中自決した2名を除く19名は軍法会議で刑死したが、この地は陸軍刑務所跡であり、永田軍務局長斬殺の相沢中佐が刑死した処刑場の一角である。この刑死20名と自決2名、殉職警官5名など事件の犠牲者の霊を慰め、事件30周年を記念して慰霊像を建立した。 |
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二・二六事件 慰霊像 |
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二・二六事件 慰霊像 |
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両国橋 東詰めの表忠碑
日露戦争時の満州軍総司令官である大山巌元帥の書である。あたりは公園整備で高い壁に囲まれており、詳細は分からない。 |
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軍艦操練所跡
晴海通りにある築地市場の入口前にある。安政4年(1857年)に後の海軍の原型となった軍艦操練所が作られた。 |
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海軍経理学校の碑
勝鬨橋の手前にある。 |
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浜離宮 可美真手命の像
「うましまてのみこと」と言い、饒速日命の皇子で、神武天皇東征の際、手柄を立てた軍神である。明治27年(1994年)明治天皇の銀婚式に陸軍省が懸賞募集して作られた。 |
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浜離宮 可美真手命の像 |