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新目白通り 西早稲田パークタワー交差点で右折 |
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新宿区立甘泉園公園 公園の生い主ち
甘泉園公園の地は、江戸時代、徳川御三卿のーつである清水家の下屋敷があった場所であり、明治時代になって相馬家が購入し、屋敷や庭園を整備しました。
昭和に入り早稲田大学の所有となり、学学校関係者等に利用されていました。
その後、昭和32年に都市計画公園として計画決定がなされ、東京都が用地買収を行い、昭和43年から公園整備工事が行われました。完成後に新宿区が東京都から移管を受け、昭和44年7月、新宿区立甘泉園公園として開園しました。
公園名は、かってこの地の湧水が清冽で常時枯れず、又お茶に適するところから「甘泉」と呼ばれていたことに由未しています |
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早稲田大学 西早稲田ビル
道路の向かいは甘泉園入口である。 |
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甘泉園、水稲荷神社参道 |
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水稲荷神社参道 堀部安兵衛之碑
階段を上ってすぐ左にあり、明治43年に建てられた碑で、脇にその内容を記した肉筆の案内がある。
それによると、堀部安兵衛の高田馬場の仇討ちの顛末(叔父の決闘、仇討ち、堀部弥兵衛への養子縁組)が書かれている。 |
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水稲荷神社参道 堀部安兵衛之碑 |
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水稲荷神社参道 堀部安兵衛之碑 |
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水稲荷神社参道
水稲荷神社には参道をさらに進むが、甘泉園入口はすぐ右手にある。 |
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甘泉園 入口 |
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甘泉園 右に進み、坂を下る |
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甘泉園 |
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甘泉園
小さいが静かな日本式庭園である。 |
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甘泉園 |
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甘泉園 出口 |
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甘泉園 出口 |
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甘泉園 案内
甘泉園という名は、園内に湧き水があり、清冽で常時涸れず、また、茶に適したところから起ったものであリ、その由来を書きしるした石碑が、園の南東に当たる水稲荷神社の社務所脇に現存している。
この地は、江戸中期の安永三年(一七七四年)徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷がおかれたところである。明治二十年ごろ、相馬家の所有となったが、昭和十三年早稲田大学に移譲された。
戦後、都はこの地を買収し、改修の手を加えで、昭和四十四年、区ヘ移管した。
庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地にあって、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。
池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ秋の紅葉が水面に写り、美事な景観を創り出しでいる。 |
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甘泉園 公園案内図 |
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甘泉園出口前で右折、新目白通りへ |