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JR大阪駅 御堂筋口
JR大阪駅〜曾根崎警察署〜お初天神(露天神社)〜梅田新道交差点〜大阪市役所〜北浜3丁目交差点〜今橋3丁目交差点〜船場センタービル〜心斎橋〜道頓堀〜戎橋〜法善寺(みずかけ不動)〜戎橋筋商店街〜なんばグランド花月〜なんばCITY〜南海今宮戎駅〜今宮戎〜通天閣本通〜通天閣〜新世界〜天王寺公園〜四天王寺〜四天王寺前夕陽ヶ丘駅
【撮影記録】
平成22年 10月 1日 快晴
11:20〜15:45 17,600歩(概算 12.3km)(昼食 15分)
ホテルに荷物を預けた後、御堂筋に沿って歩き、淀屋橋、心斎橋、道頓堀界隈、難波へと向かう。近道のなんばCITYを通り、今宮戎から通天閣、新世界を通り、天王寺公園から名刹四天王寺に至る。10月というのに30℃近くあり、汗だくになりつつも、大きく変わり綺麗になった梅田界隈、釜ヶ崎ドヤ街(西成あいりん地区)に近くて物騒だった通天閣、新世界などを巡った。 |
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JR大阪駅 御堂筋口前歩道橋
正面に阪神百貨店、左に阪急百貨店がある有名な歩道橋である。
大阪で様々な歩行者インタビューが行われると、北はこの歩道橋、南は道頓堀の戎橋、と決まっている。東京の新橋駅前SL広場のようなものである。 |
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JR大阪駅 御堂筋口前 阪急百貨店 |
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JR大阪駅 御堂筋口前 アクティ大阪、大丸百貨店
かつては戦後のどや街の雰囲気を色濃く残していた大坂駅前であるが、再開発により昭和58年にオープンした。 |
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JR大阪駅前 阪神前交差点
左の茶色のビルは阪急百貨店で、正面やや左に曽根崎警察署がある。 |
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JR大阪駅前 阪神前交差点 阪神百貨店
曽根崎警察署前から御堂筋を歩くため、阪急百貨店沿いに進む。 |
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JR大阪駅前 阪急前交差点
正面の曽根崎警察署に行くための歩道がないため、阪急百貨店沿いに進み、阪急東交差点に向かう。 |
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JR大阪駅前 阪急東交差点 地下道で御堂筋を渡る |
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御堂筋 曽根崎警察署
地下道を歩き、曽根崎警察署前の出口から地上に出る。 |
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御堂筋 曽根崎警察署前 界隈案内図
左が新阪急ビルで、右に阪神百貨店がある。 |
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御堂筋 曽根崎警察署 界隈案内図 |
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御堂筋 新阪急ビル |
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御堂筋 新阪急ビル向側 熱中症計は注意
現在時刻は11:35で、温度28.2℃、湿度51%、注意段階である。
つい最近まで30℃を越し、湿度も70%を越える蒸し暑さが続いていた。東京に比べ、今年の関西は蒸し暑いと覚悟していたが、早くも汗が流れ落ちる。 |
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御堂筋 大阪駅前第四ビル、大阪駅前第三ビル
大阪駅と曽根崎通(国道2号)の間の一画を再開発して出来た高層ビル群である。 |
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御堂筋 黄色のドラッグストア脇で左折
入ってすぐ右にお初天神(露天神社)が見える。 |
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お初天神(露天神社) 北門
社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、嘉祥三年(850年)に定め給いし「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉
住地曽祢神」を祀ると伝えられる。往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来たりて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰四年(901年)、菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ
給う砌、境内の草木露深ければ、
「露と散る 涙に袖は朽ちにけり
都のことを 想い出づれば」
と詠ざられ、菅公太宰府にて他界の後、その遺徳を偲び奉り合祀し、右の御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説あり)
元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社「天神の森」にて情死し、日を置かず時の戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として劇化された。
以後上演の都度、男女身分の差無く多数の民衆観劇し、挙って当社に参詣「お初天神」と通称される所以である。 |
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お初天神(露天神社) 由緒略記 |
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お初天神(露天神社) |
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お初天神(露天神社) 蚤の市
毎月第一、三金曜日に境内で蚤の市が開かれる。たまたま10月の第一金曜日だったので、境内一杯に古物などが展示されていた。 |
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お初天神(露天神社) 社殿
30年前に係長として大阪に勤務していた時、お初天神は近隣に飲み屋やスナックが並ぶちっぽけな神社だった。その後平成5年に整備改修され、境内は写真のように立派になった。 |
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お初天神(露天神社) 正門
後方に聳えるビルは梅田パシフィックビルである。 |
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お初天神(露天神社) 正門 |