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四天王寺 日本三鳥居 石の鳥居
日本三鳥居とは、吉野金峯山寺の銅の鳥居、安芸宮島の木の鳥居、大阪天王寺の石の鳥居である。 |
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四天王寺 聖徳太子影向引導石 御縁起
この玉垣内鎮座の霊石は、聖徳太子ゆかりの引導石にして、四天王寺四石(転法輪石・伊勢神宮遥拝石・熊野権現礼拝石・引導石)の一つに数えられている。
古記録によれば、葬送の時、暫く柩を鳥居の前に置き、太子の引導鐘を三打撞けば、太子自らこの引導石の上に影向され、安食の浄土にお導き下さると伝えられている。 |
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四天王寺 聖徳太子影向引導石
石の鳥居の右横にある。 |
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四天王寺 境内案内図
四天王寺は、聖徳太子が推古天皇元年(五九三)摂政皇太子として最初に建立された寺であります。父用明天皇が崩御された後、皇位の継承をめぐって崇仏派の蘇我馬子等と排仏派の物部守屋等が相争った時、当時十四歳の少年でありましたが、後の聖徳太子、厩戸豊聡耳皇子は、馬子等の崇仏派のために、仏法守護神である四天王に戦勝を祈願されたものです。幸い戦いは崇仏派の勝利に終わりました。聖徳太子は、二十歳の時、摂政皇太子となられるに及んで、荒陵の地に日本最初の官寺を建立して、ここに四天王を祀り、また四箇院の制に則って、各種の社会事業の施設を設けられました。 |
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四天王寺 境内案内図 |
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四天王寺 境内案内図 |
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四天王寺 西大門(極楽門) |
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四天王寺 西重門、五重塔、金堂 |
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四天王寺 西重門
西重門に設けられた受付で拝観料300円を払う。 |
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四天王寺 五重塔 |
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四天王寺 金堂 |
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四天王寺 境内、東重門 |
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四天王寺 東重門に掲げられた案内
四天王寺の伽藍配置と
排水溝(白鳳時代)について
当寺は飛鳥時代(593年)創建された最も古い特色をもつ日本仏法最初の大寺である。しかもこの伽藍配置は世に四天王寺式と呼れ主要な堂塔び南北一直線に構築せられ中国朝鮮の上代寺院の様式を継承したものである。こうした重要な伝統をもっているのて戦後当寺伽藍復興に際し昭和三十一年より三ヶ年間文化財保護委員会結果全く堂塔の位置に変化のないことが実証せられた。 |
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四天王寺 東重門から見た猫の門 |
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四天王寺 講堂 |
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四天王寺 金堂、五重塔 |
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四天王寺 北鐘堂(北引導鐘堂) |
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四天王寺 重要文化財 石舞台 |
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四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂) |
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四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂) |
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四天王寺 南鐘堂(南引導鐘堂) |
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四天王寺 宝物館 |
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四天王寺 東重門、番匠堂 |
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四天王寺 太子殿(聖霊院) 猫の門 |
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四天王寺 太子殿(聖霊院) 虎の門 |
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四天王寺 太子殿(聖霊院) 前殿、奥殿
虎の門から入って手前が前殿である。
太子殿は前殿・奥殿から成り、昭和20年3月14日の戦災で焼失したが昭和29年4月10日前殿を再建、聖徳太子十六歳孝養像を安置している。奥殿は経堂・絵堂・虎の門・猫の門とともに昭和54年10月落成し、各宗派本山の奉賛により落慶大法要が10日間行われた。本尊としで聖徳太子四十九才摂政像が安置されている。この太子摂政像は四天王寺大仏師松久朋琳・宗琳の作である。
また、基壇内には信徒の結縁による万体仏六観世音菩薩(水子・極楽・施薬・知恵・厄除・子育観音)が祀られている。
毎月22には、太子法要・六観音法要が厳修されている。 |
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四天王寺 中門(仁王門) |
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四天王寺 南大門 |
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四天王寺 南大門 |
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四天王寺 境内案内図 |