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秋の龍安寺散策H251007




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きぬかけの路 龍安寺 入口の石柱 きぬかけの路 龍安寺 入口の石柱 

大雲山龍安寺

徳大寺家の別荘だったのを、宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。応仁の乱に焼失して、明応8年(1499)、勝元の子、政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。
現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。方丈の前庭は枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。
龍安寺 参道を北上 龍安寺 参道を北上 

きれいに整備された木立の参道を北上する。
龍安寺 山門(拝観受付) 龍安寺 山門(拝観受付) 

左で拝観券を買って山門から龍安寺に入る。
龍安寺 山門脇 龍安寺全景図 龍安寺 山門脇 龍安寺全景図 

 この鳥瞰図は、現在地からすぐ後の池畔の堤からこ覧になれる景観です。堤に立たれ、あなたの眼の中に入ってくる景色、山々は総て龍安寺の境内で、面積約50万平方メートル(15万坪)あります。鏡容池(おしどり池)は大覚寺、大沢の池と共に平安時代の名池で、明治末期迄おしどりの名所として有名な池でした。私達か静かにここに立っていますと、平安朝の昔に呼びもどしてくれます。
龍安寺 山門脇 龍安寺全景図 龍安寺 山門脇 龍安寺全景図 
龍安寺 鏡容池 龍安寺 鏡容池 

鏡容池

この池は徳大寺家によって築かれたもので、かってはおしどりが群れ遊んだところからおしどり池と呼ばれた。石庭鑑賞後のひとめぐりも、何がなしほっと心が和むのを覚えるのは、水の効果というものだろう。池の堤防からは龍安寺全景の山々が古来の姿そのままに眺望され、四季それぞれの美しさは又格別である。
龍安寺 参道 三笑橋 龍安寺 参道 三笑橋 

小さな橋で見落としかねない。
龍安寺 参道 庫裡への石段 龍安寺 参道 庫裡への石段 

石庭には庫裡から入る。

庫裡

石段の正面の建物が庫裡で、禅宗寺院建築の簡素にして重厚、特に木組と白壁の調和がまた静寂の内に構成美をかもしだしている。
 龍安寺 庫裡への石段前 龍安寺案内 龍安寺 庫裡への石段前 龍安寺案内 

 臨済宗妙心寺派の寺院で、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。
 もと徳大寺家の別荘であったが、宝徳二年(一四五〇)に細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承を招いて禅院とし、玄承はその師日峰宗舜を開山として、自らは創建開山となった。一時、応仁の乱により焼失したが、明応八年(一四九九)に細川政元が再興し、その後、名僧が相次いで住し、豊臣秀吉や徳川氏も寺領を寄付するなどして、最盛時には塔頭二十三を数えるほど栄えた。しかし、寛政九年(一七九七)に火災に遭い、その後次第に再建されたが、盛時の寺観は復興していない。
方丈庭園(国の史跡及び特別名勝)は、室町時代末期の作と伝えられ、枯山水の石庭として有名である。長方形の敷地の中に白砂を敷き、十五個の石を配し、一木一草も用いず象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示したものといえる。あたかも渓流を虎が子を連れて渡っているように見えるため、「虎の子渡し」とも呼ばれる。
方丈の東には、水戸光圀の寄進と伝えられる「吾唯足知」と刻まれた石造りの手水鉢がある。そのほか、寺宝として、太平記十二冊(重要文化財)などを所蔵している。
龍安寺 方丈 石庭 龍安寺 方丈 石庭 

石庭

この石庭は、東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものです。極端なまでに象徴化されたこの石の意味は謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられています。
室町末期(1500年ごろ)、特芳禅傑などの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられています。
また、石庭は菜種油を混ぜた土で造られた油土塀によって囲まれ、時の経過による油の変化が独特な風合いを醸し出しています。
龍安寺 方丈 石庭 龍安寺 方丈 石庭 
龍安寺 方丈 石庭 龍安寺 方丈 石庭 
龍安寺 方丈 石庭 龍安寺 方丈 石庭 
龍安寺 方丈 石庭(動画) 龍安寺 方丈 石庭(動画) 

この写真は動画のスナップショットです。クリックするとダウンロードされますので、動画を楽しむことが出来ます。

上映時間 31秒
サイズ 4.94MB
龍安寺 方丈 蹲踞(つくばい) 龍安寺 方丈 蹲踞(つくばい) 

つくばいと佗助椿

方丈の北東に据えてある銭形のつくばいは、一見“五、隹、�○、矢”の文字に読まれるが、中心の口を共用すれば、“吾唯足知”(ワレタダタルヲシル)と成り、禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道である。水戸光圀の寄進といわれている。秀吉が賞讃したと今も伝えられる佗助の老樹が枯淡で景趣をそえている。

注 ○:「足」の口を除いた部分、該当の漢字がない。
龍安寺 方丈 蹲踞(つくばい) 龍安寺 方丈 蹲踞(つくばい) 

蹲踞(つくばい)

龍安寺 茶席 藏六庵の蹲踞の實物大の模型です。「吾れ唯足ることを知る」と読みます。この「つくばい」は水戸光圀公の寄進によるものと傳えられています。佛遺教経(お釈迦様遺言のお経)の中に
 知足のものは 賤しと雖ど富めり
 不知足の者は 富めりと雖も賤し
とあるところからとったものです。
これは禅の真髄であり茶道の精神でもあります。これが真の平和の精神であります。
龍安寺 方丈 侘助椿 龍安寺 方丈 侘助椿 
龍安寺 方丈 石庭 龍安寺 方丈 石庭 
龍安寺 鏡容池 周遊 龍安寺 鏡容池 周遊 
龍安寺 鏡容池 辨天島 龍安寺 鏡容池 辨天島 
龍安寺 鏡容池 辨天島 龍安寺 鏡容池 辨天島 
龍安寺 鏡容池 辨天島から見た風景 龍安寺 鏡容池 辨天島から見た風景 
龍安寺 庫裡への石段前で左折 龍安寺 庫裡への石段前で左折 
龍安寺 鏡容池 周遊 龍安寺 鏡容池 周遊 
龍安寺 鏡容池 周遊 龍安寺 鏡容池 周遊 
龍安寺 鏡容池 龍安寺 鏡容池 
龍安寺 鏡容池 水分石 龍安寺 鏡容池 水分石 
龍安寺 鏡容池 水分石 龍安寺 鏡容池 水分石 
龍安寺 鏡容池 龍安寺 鏡容池 



 
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