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仁和寺 二王門
左右を木立に囲まれた「きぬかけの路」をひたすら歩くと、急に広々とした駐車場が出てくる。観光バスや自家用車専用で、ほとんどの人がこちらから境内に入る。更に100mほど西進すると巨大な二王門が見えてくる。 |
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仁和寺 参道 中門
二王門横で拝観券を買い、中に入ると参道のはるか奥に中門が見える。拝観券はすぐ左にある御殿を見物するためのものである。 |
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仁和寺 二王門
重要文化財 二王門
建立/江戸初期 寛永14年(1637)〜正保元年(1644)
寛永14年(1637)から正保元年(1644)にかけて建立されたものであり、左右に阿吽の仁王を安置し、建築様式は平安時代の伝統である和様で統一されている。
*阿吽=寺院の門に安置される仁王や狛犬などの相。口が開いている方を阿形、閉じている方を吽形という。
*和様=日本在来の様式。鎌倉時代(1192〜1333)の大仏様・禅宗様建築に対し、奈良時代(710〜794)に中国から移入された系統の建築様式。 |
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仁和寺 観音堂・御影堂保存修理工事
観音堂・御影堂保存修理工事に伴い、観音堂は平成25年4月〜平成30年3月(予定)、御影堂は特定期間参拝ができない。 |
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仁和寺 御殿 本坊表門
仁和寺(旧御室御所・世界遺産)
仁和寺の創建は平安時代、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工されたのに始まります。仁和4年(888)、宇多天皇が先帝のご遺志を継がれ、仁和寺を完成されました。宇多天皇は、退位後、出家して仁和寺を住坊にされ、30余年もの間、真言密教の修行に励まれました。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきました。
広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、国宝、重文の伽藍が配されています。宝物も国宝、重文を多く有し、また、御室流華道の家元として、いけばなを通じ文化の向上にも貢献しています。
現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり平成6年に国連の世界遺産に登録されました。 |
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仁和寺 御殿
仁和寺
真言宗御室派の総本山で、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。
平安時代前期に光孝天皇が創建に着手した後、仁和四年(八八八)に宇多天皇が完成させ、仁和寺と名付けた。宇多天皇は退位の後、出家して、仁和寺内に僧坊を営み、三十余年間修行に専心したため、法皇が御座する室(僧坊)ということから、「御室」が後に仁和寺周辺の地名となった。
以後、明治維新まで約千年間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝えたが、その間、応仁の乱の戦火で全伽藍を焼失し、双岡西麓に仮御所を設けた時期もあった。
現在の伽藍は、江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿を移した金堂(国宝)をはじめ、御影堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。仁和寺境内は仁和寺御所跡として史跡に指定されている。
西門から成就山の麓にかけて、四国の八十八ヶ所霊場を縮小した「御室八十八カ所巡りの霊場」があり、中門の左手には、遅咲きの桜の名所として有名な「御室桜」(名勝)がみられる。 |
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仁和寺 御殿 御殿入口 |
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仁和寺 御殿 白書院に向かう渡り廊下から見た南庭 勅使門 |
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仁和寺 御殿 白書院から見た南庭 宸殿 |
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仁和寺 御殿 白書院から見た南庭 勅使門、二王門 |
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仁和寺 御殿 宸殿に向かう渡り廊下 |
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仁和寺 御殿 宸殿から見た南庭 右近の橘 |
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仁和寺 御殿 宸殿から見た南庭 左近の桜 |
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仁和寺 御殿 宸殿から見た北庭 五重塔 |
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仁和寺 御殿 宸殿から見た北庭
文字の掠れがひどく、読むのに苦労する。
仁和寺庭園
仁和寺庭園は、宸殿の庭園と重要文化財の飛濤亭、遼廓亭の露地から構成される。
宸殿の庭園は、境内が再建された江戸時代初期に、また飛濤亭、遼廓亭の露地は、それぞれの茶室が建てられた江戸時代末期、中期に作られたと考えられる。
宸殿の庭園は、石橋のある池と白砂敷きの白洲からなり、池には飛濤亭の露地と滝口からの水が流れ込む池泉式の構成をしている。
飛濤亭、遼廓亭の露地には、池や流が作られるとともに灯籠や蹲踞が据えられている。
中でも、遼廓亭の露地は、茶室や書院から池や流れを鑑賞するという、露地としては珍しい構成をしている。
江戸時代の寺院の池泉式庭園の様相を残すものとして貴重である。 |
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仁和寺 御殿 宸殿から見た北庭 霊明殿 |
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仁和寺 御殿 霊明殿
霊明殿
霊明殿は、御殿内の唯一の仏堂で、仁和寺歴代門跡の位牌をおまつりしている。
明治四十三年(一九一〇)起工、翌年竣工した。
本尊は薬師如来座像、秘仏のため実態が不明であったが、昭和六十三年(一九八八)の調査で貴重なものであることがわかり、平成元年六月に重要文化財に指定、つづいて翌年六月には国宝に指定された。全高一〇・七センチ、平安時代後期の円勢・長円の作である。 |
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仁和寺 御殿 霊明殿 |
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仁和寺 御殿 霊明殿 |
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仁和寺 御殿 霊明殿から見た北庭 宸殿 |
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仁和寺 御殿 霊明殿から見た宸殿、黒書院 |
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仁和寺 御殿 宸殿から白書院へ |
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仁和寺 御殿 白書院 清朝 四川提督 宗慶揮毫の額
額についての説明はないが、清の光緒帝の丁亥とは明治20年(1887)のことである。 |
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仁和寺 御殿 白書院 仁和寺略記
仁和二年(八八六)第五十八代光孝天皇は、都の西北大内山の麓に「西山御願寺」という一寺の建立を発願された。
天皇は翌年崩御されたが、次の宇多天皇が先帝の意志をつがれ、仁和四年(八八八)にこの寺が創建され、 年号をとって「仁和寺」と命名された。宇多天皇は在位十年、寛平九年(八九七)醍醐天皇に譲位、
二年後に出家得度され、わが国最初の「法皇」となられた。 さらに延喜四年(九〇四)には、仁和寺の中に法皇の御所である「御室(おむろ)」を建立され、
承平元年(九三一)崩御されるまで、二十七年の間ここに住まわれたのである。
仁和寺の住職は「門跡(もんぜき)」と呼ばれている。「門」とは天皇を指し、宇多法皇から、 慶応三年(一八六七)勅命によって退任された小松宮まで三十代、およそ千年の間、仁和寺は皇室の寺院として知られるところとなった。
応仁二年(一四六八)兵火により全てが焼失、その後、双が丘の西麓に仮御所を設け法灯を護持していた。
仁和寺第二十一世覚深法親王(一五八八〜一六四八)が三代将軍徳川家光に、仁和寺再興の申し入れを行い、約百八十年後再建されることとなった。
この時、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿、などが仁和寺へ移され、山門、中門、五重塔、観音堂などは新築された。 仁和寺再建は、正保三年(一六四六)に完了した。
ところが、明治二十年(一八八七)五月、火災により、仁和寺御殿を構成する大部分を焼失した。
明治二十三年(一八九〇)に、現在の白書院などが建てられ、明治四十二年(一九〇九)から本格的な再建が開始され、 京都府技師亀岡末吉氏の全く新しい構想によって大正三年(一九一四)に完成をみた。
今日、金堂をはじめとする多くの建物は、国宝や重要文化財に指定されている。 また、仁和寺の伽藍と御殿は、昭和十二年(一九三七)史蹟名勝記念物保存法により、「史蹟仁和寺御所址」に、
境内の桜は「名勝御室桜」にそれぞれ指定されている。 さらに、平成六年に国連の「世界文化遺産」に登録された。
なお、仁和寺は、真言宗御室派の総本山として、また、御室流華道家元としても知られている。 |
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仁和寺 参道 仁和寺全景 |
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仁和寺 参道 勅使門 |
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仁和寺 参道 中門
二王門から長い参道の先に見えた門である。
寛永再興の時に建立されたもので右に持国天王、左に多聞天王を安置している。 |
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仁和寺 参道 中門 |
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仁和寺 境内 御室桜
名勝 御室桜
御室桜は、遅咲きの桜として知られているが、その数約200本で、江戸初期にはすでに現在の場所に植えられていたようである。また江戸時代中期には観桜の名所としても知られており、丈が低く根元から枝を張る御室桜と、その満開の花を愛でる人々の風景が『都名所図会』にも紹介されている。
大正13年(1924)、国の名勝に指定された。
※都名所図会=安永9年(1780)、秋里籬島、竹原舂朝斎により刊行された本。多数の挿絵が庶民の心を捉え人気となる。 |
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仁和寺 境内 御室桜 |
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仁和寺 境内 観音堂・御影堂保存修理工事
観音堂・御影堂保存修理工事に伴い、観音堂は平成25年4月〜平成30年3月(予定)、御影堂は特定期間参拝ができない。 |
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仁和寺 境内 保存修理工事中の観音堂
重要文化財 観音堂
建立/江戸初期 寛永18年(1641)〜正保元年(1644)
本尊/干手観音菩薩
現在の建物は寛永18年〜正保元年にかけて建立。
千手観音菩薩を本尊とし、脇侍として不動明王・降三世明王、その周りには二十八部衆を安置する。また須弥壇の背後や壁面、柱などには、極彩色で仏・高僧が描かれる。
現在も仁和寺に伝わる法流の相承などに使用される。
※須弥壇=本尊等の仏像を安置するために一段高く設けた場所。須弥山に由来する。 |
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仁和寺 境内 保存修理工事中の観音堂 |
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仁和寺 境内 五重塔
重要文化財 五重塔
建立/江戸初期 寛永21年(1644)
本尊/大日如来
寛永21年(1644)の建立であり、総高は36.18メートル。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて、各層の輻にあまり差が見られない姿が特徴的である。
初重正面には、大日如来を意味する額が懸けられ、内部には
大日如来、その四方にも仏が安置される。また中央に心柱を、その心柱を囲むように四本の天柱が塔を支えている。さらに柱や周囲には、仏や真言八祖等が描かれる。
*心柱=仏塔などの中心に立てる柱。
*天柱=天井が落ちないように支える柱。 |
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仁和寺 境内 五重塔 |
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仁和寺 境内 金堂
国宝 金堂
移築/江戸初期 寛永年間(1624〜44)
本尊/阿弥陀三尊
仁和寺の本堂。現在の金堂は慶長年間(1596〜1615)造営の内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜44)に移築したもの。当時の宮殿建築を伝える現存最古の紫宸殿として国宝に指定されている。
堂内には、本尊である阿弥陀三尊像や、四天王像などが安置されている。
*紫宸殿=御所の中心的建物。
*宮殿建築=天皇が使用する建物の総称。 |
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仁和寺 境内 金堂 |
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仁和寺 境内 中門 |
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仁和寺 中門前 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は12:55で、熱中症計は、温度は34.5℃、湿度は46%である。
金閣寺の総門前では時刻は10:45で、熱中症計は、温度は28.1℃、湿度は61%、警戒であった。湿度は下がったものの、温度は急激に上がっており、青空が広がっている。これから広沢池を経て大覚寺まで山道を1時間ほど歩くことを考えると、散策を中止することも考えたが、今回を逃すと歳から再チャレンジは不可能、と思い強行することにした。 |
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仁和寺 参道 二王門 |
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仁和寺 参道 二王門
時刻は13時10分で昼食を、と思ったが仁和寺の周囲には適当な店はなく、大覚寺まで歩くことにした。 |