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地下鉄 谷町線 天王寺駅
天王寺駅〜てんしば〜天王寺公園〜新世界〜通天閣〜恵美須交差点〜今宮戎神社〜なんばCITY〜難波〜戎橋筋〜法善寺横丁〜戎橋〜心斎橋筋〜心斎橋駅
【撮影記録】
平成29年 9月 21日 晴れ
13:00〜15:00 10,600歩(概算 6.4km、地図上 4.5km)
ホテルに荷物を預けた後、ホテル地下の東梅田駅から谷町線に乗り天王寺駅に向かう。元々天王寺駅に不慣れなことあり、地下街を右往左往して地上に出たが、地図では芝生広場のはずが小洒落たカフェなどが並び現在地が分からず、まずJR天王寺駅を探した。新世界からは7年前(平成22年)に歩いたので思い出しながら歩くことができた。 |
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天王寺公園 「てんしば」
谷町線の天王寺駅から地上に出ると「てんしば」に出る。Google mapによれば、一帯は芝生広場のはずで、小洒落たカフェなどが並び、方角がまるで分からない。 |
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天王寺公園 「てんしば」 |
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天王寺公園 「てんしば」 |
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天王寺公園 「てんしば」から見えるあべのハルカス
JR天王寺駅に隣接するあべのハルカスは高さ300mを越える日本一高い高層複合ビルですぐ分かった。、 |
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天王寺公園 「てんしば」から見えるJR天王寺駅
あべのハルカスが分かればJR天王寺駅はすぐ分かったが、地図上の現在地が分からないので近くの係員に尋ねた。
要するに「てんしば」を真っ直ぐ進むと右奥に通天閣が見える、とのことである。 |
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天王寺公園 「てんしば」 入口 |
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天王寺公園 「てんしば」 入口 天王寺公園 案内図 |
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天王寺公園 「てんしば」 入口 天王寺公園 案内図 |
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天王寺公園 「てんしば」を西進 |
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天王寺公園 「てんしば」を西進 |
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天王寺公園 「てんしば」を西進 エリア案内
エリア案内は下が北で、現在地は「てんしば」の芝生広場のほぼ中央の北縁である。 |
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天王寺公園 「てんしば」を西進 右奥に通天閣が見える |
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天王寺公園 「てんしば」 第6代 大阪市長 池上四郎の銅像
秋篠宮文仁親王妃紀子殿下は、池上四郎の曾孫に当たる。 |
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天王寺公園 「てんしば」 第6代 大阪市長 池上四郎の銅像
池上市長顕彰碑
池上四カ君は安政四年四月十八日会津若松に生れ大志を抱いて才を警史に起し累進して大阪府警察部長の職にあること十四年 大正二年十月与望に応えて第六代大阪市長に就任し寛厚沈着にして清廉果敢大いに市政刷新向上の実を挙げ本市政史上初めて市長三選の栄を得られた。
ことにこの間市財界の宿望であった大阪電燈株式会社の買収を初め財政の整理 都市計画事業の確立 築港の完成 水道の拡張 市庁舎の新築 学区の負担均整 実業中校の増設 社会教育の振興 社会事業の創設 諸病院の拡張など近代都市大阪建設一の緒を開かれた大きな業績は今日その輝かしい成果を見その恩恵を思うにつけ深く感銘にたえないところである。 昭和三年二月には選ばれて朝鮮総督府政務総監の要職につかれまた大いに箔績を挙げられつつあったが翌四年四月四日東京出張中病を得にわかに長逝された
昭和十年四月その遺徳遺業を敬慕する知友相謀り天王寺公園中央部の一角に銅像を建立されたが同十七年十二月金属回収の戦時国策に従って供出されたので本年市制施行七十周年に際し彫塑原型によって復元しこの地に再建して長くその功労を後世に伝えるものである
昭和三十四年六月
大阪市長 中居光次
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天王寺公園 「てんしば」 天王寺動物園 「てんしば」ゲート」
右の階段裏にある「てんしば」ゲート沿いに進む。 |
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天王寺公園 突き当りを左折 |
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天王寺公園 天王寺動物園 柵沿いに歩く |
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天王寺公園 美術館下ゲートで左折 |
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天王寺公園 美術館下ゲート 周辺案内図 |
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天王寺公園 美術館下ゲート
正面は天王寺公園の大阪市立美術館下ゲートで、入場料が必要である。7年前には通天閣からここに来て四天王寺に行くために、左折して北上した。 |
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天王寺公園 連絡歩道橋を西進
歩道橋は天王寺動物園の上に架かり、新世界と天王寺公園とを連絡する。 |
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天王寺公園 連絡歩道橋を西進
歩道橋のパネルの隙間から天王寺動物園が見え、名前は分からないが動物や鳥の奇声が聞こえる。 |
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天王寺公園 連絡歩道橋を西進 天王寺動物園 新世界ゲート
右奥に通天閣が見え、高架は阪神高速14号松原線である。 |
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天王寺動物園 新世界ゲート |